読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1982年4月発行 広報よみたん / 2頁

日本の平和憲法の理念に基づき 反核、反戦を貫き平和を遵守する「平和の宣言」を行う 昭和57年度施政方針読谷村長山内徳信 はじめに

日本の平和憲法の理念に基づき 反核、反戦を貫き平和を遵守する「平和の宣言」を行う 昭和57年度施政方針読谷村長山内徳信
 本村議会の一〇六回村議会定例会は、去る三月十一一日午前十時から開かれ、村当局から昭和五七年度一般会計予算案をはじめ、十七議案が提案されました。
 三月議会定例会は、通称予算議会とも呼ばれています。なかでも、新年度予算の重要な裏付けとなる「施政方針」は予算案成否の重要なカギを握るものといわれ、山内徳信村長は、議会の冒頭一万三〇〇〇文字から成る「昭和五七年度施政方針」を一時間近くにわたって演説し、それぞれ議員の協力を求めました。
 私たち村民にとって、村政を知り、村政を方向づける施政方針はとかく関心を呼ぶものです。広報よみたんでは「昭和五七年度施政方針」を広く村民にお知らせし、ご理解、ご協力を賜りたく、その全文を七ページにわたり特集ページを組みました。

はじめに
 本日ここに第一〇六回読谷村議会定例会の開会にあたり、昭和五七年度の予算案をはじめ、諸議案の説明に先立ち村政に関する基本的姿勢と所信の表明を行い、議員各位、並びに村民の御理解と御協力をお願い申し上げる次第であります。
 さて、本年度は県民が悲惨な沖縄戦を体験して以来三七年目になります。又、米軍統治を断ち、日本復帰をし、新生沖縄県が誕生して満十年の「節目」を迎えることになりました。そこで復帰十年の総括と今後の展望についてふれておく必要があります。
 戦後、沖縄県民が一貫して求めてきた運動は「日本の平和憲法の下への復帰」でありました。復帰をめぐる評価はいろいろありますが、是もあれば非もあります。また、依然として復帰によって良くなった面をも帳消しされるほどの問題が残っております。それは「米軍基地をめぐる諸問題と米軍の県民無視の演習」であります。日本政府の消極的な基地行政は、県民をして日本政府に対する不信感を深めさせる結果になりつつあります。かつて佐藤総理は「沖縄の返還なくして日本の戦後は終らない」と言われました。沖縄は祖国復帰をし日本に返還されました。その結果、日本の戦後は終ったと政府が考えているとすれば、それは大変な間違いであると言わざるをえません。戦後三七年経過したとはいえ、未だ沖縄には戦後処理、復帰処理の問題が残っていることを指摘すると同時に、県民はそのことを自覚的にとらえておく必要があります。さらに復帰の際、政府は沖縄の返還は「核抜き、本土並み」であると宣伝しました。ところが復帰十年目の今日、全国民に対し、極東最大の軍事基地沖縄は「核抜き本土並み」返還でありましたと自信をもって言えるでありましょうか。核抜きは勿論「本土並み」と言われながら日本全体の五三%の米軍基地が狭い沖縄におしつけられ、それは沖縄本島の二〇%、沖縄県全体の十二%の面積を占め、本村においても現在尚四八%が米軍基地に接収されている状況であります。沖縄にある米軍基地はその密度、機能、役割といい前述の数字をはるかに上まわるもので、極東一の発進攻撃基地であり、その為に戦争に巻き込まれる不安と危機感を県民は絶えず抱いているのであります。本土の自治体(市町村)と違い基地との雑居を余儀なくされ、日常的に起る基地被害、演習被害に住民も市町村もどれ程犠牲を強い

※写真「昭和57年度施政方針演説を行う山内徳信村長」は原本参照

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