〔265号2・3ページの続き〕
炬火リレー-沖縄の祖国復帰を記念して特別国体「若夏国体」が昭和四八年に開催されました。村内でも若人たちの手によって灯火が力強くリレーされました。
ようこそ宮崎少年の船一行様-宮崎県から六〇〇名の少年少女たちが来村し村内の小中校生となごやかな友情交歓がもたれました。(昭和五六年七月三〇日)
沖縄国際海洋博で「読谷村の日」-本村の伝統芸能である長浜のチクタル舞い、高志保の馬舞い、座喜味の棒術が紹介されました(昭和50年11月16日)
郷土料理で歓迎・安孫子自治大臣一行様-一行は読谷山花織工房、やちむんの里を視察され、また、郷土料理に「うまい!」と舌つづみを打つ(昭和56年8月)
ナナサンマル-これまで「人は左・車は右」から「人は右・車は左」へと交通区分の変更が実施され、交通区分の世変わりが行われました。(昭53年7月30日)
読谷アンデパンダン展81-同展には、村民、村内在職者から絵画など六部門にわたり111点の作品が出展され、村民手づくりの芸術を鑑賞した。(昭和56年5月)
地籍確定調査協定を締結返還軍用跡地の地籍確定調査の協定締結式が国・県・村が一体となって調印し、戦後処理のひとつとして大きな成果をみました
動く美術館・館内を圧倒-現代日本洋画壇秀作チャリティー展及び沖縄を描く本土・沖縄選抜展を開催、展示された作品はいずれも超大作とあって館内を圧倒
ムラおこし講演会並びに研究集会-21世紀に夢とロマンを求め、村民参加のムラづくり運動は大きな鼓動となって広がっています。(昭和五四年七月十八日)
戦争と人間展-平和を尊び過ちを二度と繰り返すなと金城実氏(彫刻家)が沖縄戦をテーマに超大レリーフを展示し、反戦・平和を呼びかけた(昭55年8月)
村政を混乱させたアスファルト騒動-某企業が村内の採石場跡にアスファルト工場建設を計画、村民から猛烈な反対を受け計画を断念した。(昭和49年5月)
300年ぶりに甦えるヤチムンの里-喜名焼の発祥地である本村に再びやちむんの火が点されました。九連房の登り窯は県下で最大級のものです。(昭55年7月)
※写真「炬火リレー(昭和48年)」、「沖縄国際海洋博に「読谷村の日」(昭和50年11月)」、「ナナサンマル(昭和53年7月30日)」、「地籍確定調査協定を締結(昭和50年11月10日)」、「21世紀に夢とロマンを求めて(昭和54年)」、「アスファルト工場建設反対(昭和49年)」、「ようこそ宮崎少年の船一行様(昭和56年)」、「やちむんの里を視察・安孫子自治大臣(昭和56年)」、「手づくりの芸術を鑑賞(昭和56年5月)」、「動く美術館館内を圧倒(昭和57年2月)」、「反戦平和を訴える金城実氏(大阪在住・昭和55)」、「300年ぶりに甦ったヤチムンの里(昭和55年)」は原本参照