読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1982年5月発行 広報よみたん / 6頁

沖縄県の祖国復帰 あれから10年たちました 村政に顧みる復帰10年 村民の生命と財産を守る闘い

〔265号2~5ページの続き〕

村民の生命と財産を守る闘い
 米軍パラシュート落下事故に抗議する闘い-あわや大惨事!米軍の無神経な落下傘降下演習によるたびかさなる落下事故は、村民怒りの炎となって燃えさかった。一連の事故対策に、米軍落下傘降下演習に抗議する村民大会を開くなど、村民ぐるみの一大闘争が展開されました。山内徳信村長は、村民の生命と財産を守る立場から、自治体の理事者として異例ともいえる陣頭指揮をとり、村民の先頭に立って強力な反対闘争を構築いたしました。
 騒然となる古堅小学校-一千余名の児童の頭上をかすめて怪鳥ならぬ米軍パラシュートが落下し、一瞬ヒヤッとさせました。米軍の無神経な行為もう許せん…
 鉄の雨が降る-まるで戦場だ、鉄の雨が頭上を飛散し心の安まる思いもしない。命あっての我が人生、不発弾処理場撤去闘争を展開し同処理場は撤去された。
 新たな基地強化に強力な反対闘争-読谷補助飛行場内に米軍通信用アンテナ設置が計画された。村民は基地強化に反対し強力な反対闘争を展開した(昭51)
 毒ガスもれ一千余名が被害-あわや大惨事、米軍不発弾処理場から毒ガスもれ事故が発生、地域の住民、中高校生一千人余名が被害に遭った。(昭和48年)
 山内徳信村長・ジミーカーター米国大統領に直訴状-もう待てない最後の手段はこれしかない、と米国大統領へ直訴状を送る。行動を起す山内村長は全国から注目された(昭52年2月)
 この土地を返して-この土地は祖先から受け継いだ私たちの土地です。国有地ではありません、と訴える所有枚回復地主会(昭52)

※写真「村民の生命と財産を守る闘い」、「棚原孝子さんの死を無にするな…と訴える」、「雨の中でも身動きせず強力な反対闘争」、「その意は報われ米軍はアンテナ設置を断念」、「村民の先頭に立ち語気鋭く抗議する山内村長」、「雨の日も風の日もこのような大会が開かれた」、「鉄の雨に身ぶるい命あってこそいま(昭49年)」、「毒ガスもれ事故に対す抗議村民大会(昭48年1月)」、「この土地は国有地ではありませんと訴える」は原本参照

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