62年沖縄国体めざしエンジン始動 少年男子ソフトボール競技会場に決まる
昭和六二年「第42回国民体育大会」が我が沖縄県で開催されることで、五年後に追った国民体育大会を成功裡にと、県をはじめ競技開催関係市町村では、あわただしい動きをみせはじめました。
ソフトボール競技の開催地と決まった本村においても、去る五月十八日、午後三時から勤労者体育センターにおいて「第42回国民体育大会読谷村準備委員会設立総会」を開き、昭和62年国民体育大会をめざし、エンジンを始動させました。
この日の設立総会には役場、議会、教育委員、体協、青年会、婦人会、老人会、区長会、体育指導員、学校関係、子供育成会など村内の各種団体を網羅した二三の団体から一五〇名(委員実数二六九名)の常任委員、委員が出席して開かれ、事務局提案の「第42回国民体育大会読谷村準備委員会会則、役員、事業計画、予算案などの議事審議を行いました。その結果、満場一致で可決され、五年役に迫った第42回国民体育大会をめざし、本村独自の具体的な事業の取り組みが行われることになりました。
第42回国民体育大会は、沖縄市を主会場に県下三十一市町村で全一二十一種目の競技が行われます。本村においては北谷町、嘉手納町、恩納村と並んでソフトボール競技が決まり、少年男子(高校)ソフトボール競技が行われます。
※写真「62年沖縄国体をめざし読谷村準備委員会設立総会」は原本参照