残波岬公園完成予想図 残波岬公園 いこいの森青少年の森ふれあいの森 村民の公園づくりGO! 主な施設十月オープン目指す
残波岬-読谷村民ならだれでも一度や二度は、必らず足を運んだことのある場といえます。新沖縄観光名所のひとつに数えられる残波岬は、月面を連想させる奇岸の岩はだ、一面みどりのジュータン、そして数十メートルの断崖絶壁、そこにぶち当たる波濤はまさに壮大なものです。
戦前までの残波岬は、ソテツやアダン、琉球松がうっそうと繁り、「上り・下り口説」など琉歌にも詠まれた風光明眉な地で、沖縄八景のひとつに数えられていました。また、宇座や儀間、渡ケ次の人たちの薪の供給地でもありました。
だが、昭和二〇年四月一日、米軍は読谷海岸から上陸するとともに、残波岬一帯にも基地の建設が進み、一面樹海を成した立木はことごとく切り払われ、昔のなごりは跡形もなく荒野化、その後も米軍の射撃場として使用されたために土地はますます荒廃の度合いを深めて行きました。
一面ススキが原に変った残波の里は昭和四九年返還されました。その後、地籍一調査等の作業も終わり、荒れはてた残波岬を村民のためにどう利用していくか、地主の皆さんとともに暗中模索で、いろいろ考えてきました。
村では、戦争やその後、三〇有余年にわたって荒廃しきった海岸を昔のような白い砂浜と、砂浜を守ってくれる防風林の造成、さらに海岸利用を考えて行くために「読谷村海岸線保全利用計画」を策定し、百年の大計の下で事業を推進しているところです。
「残波岬」もこの計画の一環としておよそ二五〇余名の地主の協力を得て、約七万坪の土地を村で取得し、海岸域の保安林部分と合わせて約十四万坪を都市公園として指定しました。残波岬公園計画は、失われた自然の回復をはかるための緑化計画を中心に「青少年キ
※見開き図は原本参照