勇気あれば 古堅中3年 池原慈子 全国中学生人権作文コンクール優秀賞
12月4日から1週間「人権週間が実施されますが、週間行事として、中学生を対象にして作文コンクールが毎年行われています。
これは、日本国憲法によって「基本的人権」が保障されていることから「自由人権思想の啓発活動」の一環として行われるもので、昨年は、古堅中学校の池原慈子さんが「勇気があれば」という題で応募し、みごと優秀賞を受賞しました。池原さんの作文は内外で大きな反響を呼び、人権週間にちなみ「広報よみたん」でもという声が高く、今般優秀賞受賞作品「勇気があれば」にスポットをあてました。
それは、夏休みの気分が抜けきらない、九月の初め、チャイムもゆっくり鳴りひびいているような気のする日でした。
その日、体育館では二学年報告会があり、数名の発表者が夏休みの出来事を発表しています。私はぼんやりと、窓の外の青空に浮かぶ、真っ白い雲をながめていました。そんな私の耳に、「O君は大阪へ転校しました。」という先生の声が入って来ました。あまり目立たない気の弱そうなO君でした。そのO君が転校していく前にあった出来事に、こんなことがありました。O君は何人かの友達から、「お前には、A君をやることは出来ないだろう。」と言われたことにあおられて、犯行に及んだのです。それは本当にささいなことであって、自分の意気地を見せなければ、という一心であったのでしょう。ナイフを持って同級生を刺したのでした。幸い大事にいたらないで終わったのですが、この事件は校内でも問題になり、事件に関係のあった生徒と二人の父兄も同席して仲直りもしましたが、O君は周囲の冷たい態度に耐えられなくなって転校したのでした。O君はきっと仲間のみんなに認めてもらいたい思いだったのでしょう。善悪など、どうでもよかったのです。仲間はずれにされることが、O君にはたまらなく寂しい事だったと思います。
私が残念に思うのは、O君が刺傷事件を起したということよりもこれまでのO君への理解と思いやりがなかったということです。友達に冷たい目で見られ、冷たい言葉を浴びせられてきたO君は、きっと孤独でつらかったことでしょう。
全ての彼の周りの人が、そうだったという事ではありませんが、彼をよく理解してあげて、教師や親に言えない悩みごとを聞いてあげられる心の友が一人でもいたでしょうか。O君を一人の級友としてぶつかっていって、かたくなになっている心を開く努力をする人が、一人もいなかったのです。好んで刃物を持ち出し、人を傷つける人は一人もいないと思います。彼をそこまで追いこんでしまう人間関係があったことを忘れてはいけないと思います。
心の中では助けを求めているO君に、気が付かない私達は、まるでろくでなしとでも見るような目でO君を見て、かげでこそこそとうわさをし、同級生としてO君を理解するどころか、軽べつし優しい言葉一つもかけてあげられなかったのです。みんながもっと親身になってO君の事を考えてあげれば、O君は転校しなくてすんだのです。
この事件を通して私が学んだことは、物事を解決するには、勇気という大きな力がいるということです。勇気がなければO君がかわいそうだと思っても、いじめている人が強い人だったとしたら、注意がしたくても注意できません。そんな時、たとえ一人の勇気は小さくてもみんながまとまったら大きな力となるんだ。ということを忘れてはいけないと思います。困難だと思っていた壁も勇気をもってぶつかれば、必ずうち破ることが出来るのです。勇気を持ってO君をかばってあげることのできなかった自分に、激しいいきどおりを感じると共に、O君に責任を感じました。
O君という一人の仲間の為に、クラスでも学年でもこの問題を取りあげ、この事件について話し合い、考えていくことが大切だったように思います。
学校は今、運動会練習でせわしく、放課後の運動場には、若さあふれる私達の笑顔でいっぱいです。さもO君のことが現実ではなかったように思える程です。この運動会の輪の中にO君はいません。
今日も私達の学校生活は、何事もなくはつらつとプレーをしています。時には、テストに追われて少し視野のせまい毎日が続いて行きます。こんな中から、またしても第二、第三のO君が出ないとは限りません。今、私達が出来ることは、物事を正しく判断して行う学級、学年にしていく努力を忘れてはいけないと心にちかいます。
私は、今私達が出来る事を一時的にそうするのではなく、それが継続的に出来るようになること、また、意識しないで普段の心がけと態度になっていくことが、大事だと思うことまで気が付きました。
※写真は原本参照