読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1985年6月発行 広報よみたん / 3頁

広報に見る『潤いのあるまちづくり』表彰の跡 広報300号の誇り高いページ 村民総参加の村づくり 高く評価された文化村づくり

〔300号2ページの続き〕

 潤いのあるまちづくりは単に文化が優れているというだけにとどまらず、それは、経済、生活環境、教育まで、人が生活していく上の全ての条件を満たすものでなければなりません。つまり、人間が、物質面でも潤いをもてるまち、むらでなくてはならないわけです。
 戦後、七九%を占めた基地は、村民から住む土地、働く土地を奪っていました。その中で村民の村づくりの力強い足跡がしるされ、今日、めざましい発展をとげてきました。
 座喜味城の復元、読谷山花織、ヤチムンの振興に見られる伝統文化の継承発展はもとより、大規模な農業基盤の整備の他、社会福祉の充実、教育環境の整備が進み、各地域でも、青年、婦人、老人会等の活動は活発なものがあります。
 復帰後、大幅な基地の返還があったとは言え、今だに四八%を占めている現状です。
 「人間性豊かな環境、文化村」づくりを進めてきた本村のこれまでの努力と実践は「潤いのあるまちづくり」表彰に集約されるものであり、本村のさらなる発展の起点としなければなりません。これまでに至る村民の努力を振り返る意味で「広報に見る潤いのあるまちづくり」を特集してみたいと思います。

ヤチムンの里
 昭和55年返還軍用地跡に建設されたヤチムンの里は4名の窯元が窯場を開いている。ヤチムンは本村の伝統的工芸品として読谷山花織と両輪をなすものです。三百年前、喜名焼の地に新しいヤチムンの伝統が築き上げられていく。

読谷山花織
 15世紀の初め長浜に伝来したと言われ、500年以上の歴史を持つと言われる。インドを含め南方的色彩の強い特異な織物として高い評価をうけている。
 昭和39年、村ぐるみの復興運動により、先の大戦で途絶えていた花織が復興された。昭和50年に沖縄県の無形文化財に指定され、与那嶺貞氏が↑

与那嶺貞氏
 戦後、壊滅状態にあった読谷山花織の復興の立役者となった与那嶺貞氏は、現在でもその継承発展、後継者育成に尽力されています。
 昭和五〇年三月二七日、沖縄県無形文化財技能保持者として認定され、昭和五六年十一月十一日には、労働大臣指定の「現代の名工」となっています。

人間国宝金城次郎氏が誕生
 昭和47年、那覇壷屋から、登り窯を求めて本村へ移ってきた金城次郎氏は同年、沖縄県無形文化財技能保持者として認定されました。
 沖縄のヤチムンの伝統を守り、陶芸一筋に打ちこんできた金城次郎氏の卓越した技術は昭和60年3月29日、人間国宝(重要無形文化財技能保持者)の認定を受けるにいたりました。
「文化村」づくりをめざす本村で、人間国宝が誕生したことは、村民の大きな誇りなりました。

※写真「ヤチムンの里」、「人間国宝金城次郎氏が誕生」、「与那嶺貞氏 読谷山花織」は原本参照

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