読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1986年2月発行 広報よみたん / 5頁

読谷村商工会青年部主催-第2回児童作文コンクール金賞作文- 私達の読谷村 古堅小学校五年

読谷村商工会青年部主催-第2回児童作文コンクール金賞作文- 私達の読谷村 古堅小学校五年
 東シナ海に勇しくつき出している残波岬、地図を広げて見ると、いかにも残波岬が読谷村の先頭のように見え、灯台が読谷村の行先をてらしているように見えます。
 文化村を柱に私達読谷村は今、前進しています。
 そんな私達の村には、花織こう芸があり、その織物の、一段一段が色あざやかに織れ、その色合いも、読谷村でしか出せない色です。
 また、私達楚辺区には、歌と三味線を作りあげた、赤犬子宮があります。ですから、楚辺区だけで、旧の九月二十日に、赤犬子宮に行って、おいのりをする行事があります。
 読谷村の北に行くと、やちむんの里があり、そこには、人間国宝金城次郎先生の、のぼりがまもあります。
 座喜味城は、大むかしの人々が作りあげた城です。今では、重要文化ざいとして、指定されています。
 このように、読谷村は、文化村として有名です。
 しかし、残念な事に、読谷村にはまだ軍用地が約半分近くあります。私達、楚辺のビーチには、パスを見せないと入っていけないのです。どうしてでしょうか。自分達の海を自分達が勝手に使ったらいけないのでしょうか。
 また、授業中、まどの外を見ると、パラシュートが落ちるのが見えます。ヘリコプターから飛行場に落ちるくんれんのようです。よく福祉センターにいくとちゅう、飛行場が見えるのですが、すごく広く、辺りは草だけのさっ風景な所です。こんな広い所を見ると私は、「みんな自由に使えたらいいな。」と思います。
 その他、金武町や恩納村の美しい山々も、ピストルのくんれんのために利用されて、今では、赤土がむき出しになっているじょうたいです。このように、読谷村以外の所でも、大きな災害をもたらしているのです。そしてそこの人々は、必ずいうでしょう。「自由に使えたらな。」と、
 私達は、学校にいくとちゅうにも、軍の道ぞいを通らなければなりません。その道ぞいには、あまり木がなく、朝の光がまぶしくてたまりません。そんな時、「木が植えられていたらな。」と汗をふきふき思います。
 そのように、読谷村、又読谷村以外の市町村にも害をあたえている。そんないやな事がないように、みんなが真けんに宣言すれば、軍用地など返してくれるかもしれません。そうなったら、私達学校のまわりにある、トリーステイションに、子供の広場などをつくります。読谷村にはない、動物の森をつくり、国々の動物たちと、自由に遊べるようにします。広々とした「いこいの広場」をつくり、休みの日には、家庭で遊べるように、めずらしい乗り物をいっぱいおきます。学校の校庭をもっと広げ、まわりには、何本も木を植え、友達と日かげで遊びまわれるようにします。もう一つの大きな軍用地である飛行場には、文化村を作りたいと思います。文化村には、博物館、美術館、図書館などをつくります。
 博物館には、大昔のかせきや、花織を作りあげた昔の人々の作品。中学生、高校生の人たちが作っためずらしい作品などをおきます。
 美術館には、ゆうめいな画家の絵をいくつもかざり、友達とウキウキしながら見ます。
 図書館には、おもしろい絵本や、すばらしい本など何さつもおき、図書館で作った友達と、木かげで本を読み合ったり、楽しい図書館にします。そんな夢のような事を、実現させるにはみんな一人一人が協力し合う事が大切だと思うのです。
 こういう、むずかしい事が実現したら、人々は、必ずいうでしょう。
 「自由と言うのは、なんてすばらしい事でしょう。」

※写真は原本参照

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。