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1986年10月発行 広報よみたん / 2頁

座喜味城跡復元される 13年の歳月かけ県内初の環境整備事業竣工 盛大に祝賀会

座喜味城跡復元される 13年の歳月かけ県内初の環境整備事業竣工
 十三年の歳月をかけた座喜味城跡復元のための環境整備事業が竣工しました。
 十五世紀の初め、護佐丸によって築かれたというこの城も先の大戦、米軍基地と数々の試練の中で、昭和四十七年、国の史跡として指定された当時には城壁は崩れ、雑木や草の生い茂るほどの悲惨な姿となっていました。
 本土復帰を前後して、村の座喜味城跡復元の計画は、県の「グスク整備」の事業にのり、県内では初めての城跡環境整備事業が昭和四十八年十月にスタートしました。

-座喜味城跡環境整備事業の概要-
 座喜味城跡は大戦中は日本軍の高射砲基地として使用され、荒廃したが、昭和三十一年、当時琉球政府の重要文化財に指定されました。しかしその後、昭和三十五年には米軍のレーダー基地が建設され十四年余も使用されてきました。村では沖縄の祖国復帰を前に、将来を展望した村づくりの中で城跡の復元と公園、資料館の設置を計画していましたが、復帰後、城跡が国の史跡に指定されたこと、さらに県教育委員会が進めた「県内にあるグスクの整備計画」にのって、国・県の補助を受けた県下で初の史跡整備事業として昭和四十八年十月にスタートしました。
 以後、城壁の基礎調査、発堀調査と並行して城壁の復元工事も順調に進められ、三六五mに及ぶ城壁の修復と四七、七一三㎡に及ぶ史跡指定地域の環境整備事業が本年度で竣工しました。
 十三年の歳月をかけた事業は総事業費四億千九百万八千円という大規模なものとなりましたが、この事業の成果は大きなものであり、文献の少ない沖縄の歴史の中で史跡、文化財の持つ重要さは言うまでもありません。又、発掘による出土品も歴史をたどる重要な手がかりとなるものです。
 松林に囲まれ、静かなたたずまいを見せる座喜味城跡、次代へ伝える私たちの大きな文化遺産といえるでしょう。

盛大に祝賀会
 十三年の歳月と四億円余の巨費を投じた座喜味城跡環境整備事業の竣工にともなって、去る九月二十七日、その竣工祝賀会が盛大に催されました。
 見事に修復された座喜味城跡、正門前の祝賀会場に国・県を始め村・教育委員会、さらに村民や多くの関係者が参加して、午後四時新崎盛繁教育長の開会のことばで式典を開会しました。
 式典の中で山内徳信村長は「城跡の復元は『人間性豊かな環境、文化村』づくりの一環であり、大きな意味を持つものです。それは現在の村民が平和の願いをこめて後世に伝える貴重な文化遺産であり、同時に、幾多の激動の時代をのりこえてきた城跡を十三年の歳月をかけ、それぞれの時代の人がそれぞれの役目を苦労して果たしてきた努力の成果でもあります。
 人間の努力によって築かれた文化及び文化遺産が、どれほど人々に夢と希望を与え、自信と勇気、遅しさとロマンを抱かせてくれるかはかり知れません。
 座喜味城跡は国の指定文化財として、学術上の重要な城跡であります。今後、この史跡の活用を通して郷土の歴史学習及び地域文化の向上に貢献し、あわせて地域住民の健全な憩いの場となるようその保護と活用を図っていきます。最後に、国・県を初め関係者各位の深いご理解とご援助のもとに本日の竣工祝賀の日を迎えることができ衷心より敬意と感謝を申し上げます。」とあいさつをしました。
 この後、来賓の文化庁記念物課長、県教育次長、村議会議長の祝辞を受け式典を閉じました。
 引き続き祝賀会が催され、古典音楽演奏や、舞踊、座喜味棒、残波大獅子太鼓演奏が披露されました。

※写真「復元前の座喜味城(昭和49年頃)」は原本参照

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