※続き。
① 読谷山花織の振興
十五世紀初め南方交易により伝わったと言われる読谷山花織は、関係者のたゆまぬ努力により生成発展し今日にいたっております。これまで後継者の育成や技術研修、伝統工芸センター建設や地域工房を三地区に建設してまいりました。さらに昨年度は花織の振興発展のためのシンポジウムも開催し、その将来性の高さが確認されるとともに今後の創意工夫も指摘されたところであります。
本年度も後継者育成や技術研修、共同作業や共同利用機具の購入を行うとともに多様な製品の開発のための研究助成をはかり、新しい需要の拡大を促進してまいります。
② ヤチムンの振興と生活化運動
本村の陶芸はヤチムンの里を核とし、人間国宝の誕生という沖縄県の歴史的快挙と相まって全国的にその名が知られるようになり、各地からの来訪者が後を絶ちません。ヤチムンの里における恒例の陶器市も六回目を数えるようになり、周りにも陶工が定着し、読谷まつりにおける即売、共同販売センターやその他の施設における販売を通してその実績は確実に積み重ねられてまいりました。
文化村の一翼を担う事業として販売ルートの拡大と生産体制の拡充を推進するとともに村民のくらしの中にヤチムンを浸透させる運動を継続してまいりたいと思います。
③ 共同利用施設の活用
これまで地域を活性化させるために共同販売センターや農産物直売施設、さらに農村婦人の家等の共同利用施設を建設してまいりましたが、これらの施設は伝統工芸である織物とヤチムンの販売の促進、少量農産物や特産物の直売そして、昨年度開設しました農村婦人の家においては農水産物の加工や研究、保存食の研究開発や食生活の改善及び婦人の健康増進のための施設として利用されているところであります。伝統工芸産業や農水産加工業にたずさわる人々の生産意欲の増大と所得の向上をめざすための施設として、施設相互の連携をはかりつつ新しい商品の開発をはじめとした有効的な活用と地域経済の活性化を促進してまいりたいと思います。
④ 商工業の活性化と観光の振興
昨今の円高ドル安による景気後退というきびしい社会状況の中において商工活動も低滞を余儀なくされているものと思慮するところでありますが、商工会を中心に商工業者相互の連携の下に購買力の流出を防止し、地域商業を活性化させるための関係者の自助努力はいうまでもなく、新しい商業経営や共同事業への取り組みが重要な課題となってまいりました。
昨年度から商工会を中心として地域小規模活性化推進事業(むらおこし事業)が取り組まれ、「人・物・地域づくり、今あなたが主役」と題したシンポジウムが開かれるとともに地域特産品の開発や観光資源の開発を討議し、近日中にこの事業の成果の発表として「ユンタンザむらおこし物産展」が開催されることとなっております。さらに本年度は特産品の生産体制強化と販路開拓に向けた事業を予定しております。
これらの商工会を中心とした新しいむらおこし運動と連動して観光の振興につきましても種々の施策を展開してまいりたいと思います。これまで伝統工芸品の振興や文化施設の整備、そしてレクリェーション施設等を整備して観光の素地づくりを実施してまいりましたが、今後は本格的な観光の新しいあり方を探究しつつ施策を推進する必要があります。昨年策定された沖縄県観光振興基本計画や中部広域市町村圏の中においても観光の振興が提起されており国においてもいくつかの省庁でそれぞれの立場からの観光の振興をうちだしているところであります。本村においても立地が予定されているリゾート関連と地元業者とのかかわりをもたすとともに地域連絡会議の活用により農林水産業及び商工業の活性化を促進してまいります。さらに来訪者へのサービスのための観光案内板等の設置も計ってまいりたいと思います。
読谷村がかたくなにつらぬいてきた平和思想は文化をつくりだし、その文化はやがて観光となって新しく開花していくのであります。
(6)行政区改善の推進
-新しいコミュニティづくりのための施策
本村の行政区の問題はこれまでいろいろな方策を検討し、話し合いを重ねてまいりました。戦前戦後を通して集落の改変や社会状況の変遷の中でコミュニティもまた地域ニーズにあった新しい組織づくりが要求されているところであり、旧集落への復帰事業も新しい社会情勢として生じてまいりました。このような中で新市街地の形成された地域から「大添区」が誕生し、文化活動やスポーツ活動そして奉仕活動など積極的なコミュニティ活動を展開しております。
行政区は、自主的・主体的な地域活動を通して地域共同体を築き上げる基礎的単位であり、二三の行政区は規模及び財政的な面での差異はあるが、これまでの共同体の活動はもとより、新しい時代に対応する活動を創造していくことも重要になってまいりました。今後とも全村民の方々が地域共同体へ積極的に参画し、住みよいムラづくりを共に進めてまいりたいと思います。
(7)読谷飛行場問題の解決促進について
読谷飛行場問題は、日本政府や米軍を相手にした複雑多難な問題ではありますが、読谷村の将来を左右する極めて重要な村民的課題であります。
読谷飛行場はかつて「読谷山野」と呼ばれ、広大な農地でありました。昭和十八年日本軍は戦時体制下の国家総動員法的社会状況の中で村民に有無を言わさず強制的に用地の接収を行い飛行場を建設したのであります。戦後は米軍基地として使用され今日まで四四年の歳月が経ちました。復帰後、戦後処理を求めて読谷飛行場所有権回復地主会が結成され、十年余にわたる問題解決に向けての強力な運動が展開されてきました。問題解決をはかるため、所有権回復地主会をはじめ読谷村議会、読谷村、その他多くの村民の協力の下に県及び日米関係機関に要請を重ねてきたのであります。その結果戦後処理の問題として「跡地利用計画による解決をはかる」という政府の方針を引き出すことができました。尚、演習場の移設についても村民の運動の成果として現在移設に向けての継続調査中であり、日本政府と米軍と問題解決に向けて一歩一歩進んでいるところであります。
村内においては読谷飛行場転用計画審議会を発足させ跡地利用計画の大綱が答申され、現在転用計画策定中であります。計画内容としましては公共施設部分と生産基盤としての農用地部分の二つに大別することができます。そして読谷村の骨格的な道路となるロードパークとしての国道五八号バイパスの位置づけ等国や県とその事業化に向けての調整を重ねてまいりたいと思います。また現在の旧地主関係者の所有権の実質回復をめざすとともに黙認耕作者については必要な諸調査を行い跡地利用計画をしていく中で、その利用関係を調整し、土地秩序の回復をはかっていかなければなりません。このように複雑多岐にわたる跡地利用計画となるだけにその方向づけのために国・県・米軍との折衝及び調整が必要でありその後を受けて法制度に乗せ事業化をするものであります。そのような状況の進展をうけて本年度は折衝と多大な調整作業が必要となってまいります。
新年度には「読谷飛行場転用対策課」を新設し、具体的な問題解決に努めてまいりたいと思います。
読谷飛行場はいよいよ解決の時期を迎え、戦後処理事案として極めて複雑な問題であるだけに全村民の大所高所からの深い御理解と御協力を心からお願い申し上げる次第であります。
(8)残波岬地域及び海岸線の整備開発事業に関する施策
雄大な自然景観に恵まれた残波岬は内外の協力により、およそ四五ヘクタールの公園計画が決定され、その一部地域に「いこいの広場」を開設して五年目を迎え、多くの人々が訪れるようになり都市公園事業も併行して次第に整備が進んでまいりました。ことに本年度は国際的な観光商品となる沖縄の「海のカーニバル」が県によって計画され、そのイベントの中に「残波まつり」が位置づけられ全国的なキャンペーンが繰り広げられることになります。残波岬一帯は海辺のふれあい空間として国や県の方でも海岸整備やその背後地の整備を推進しているところであり、村としましてもこれらの施策を受けて展開してまいりたいと思います。
読谷海岸は「沖縄県観光振興基本計画」の中で恩納海岸と連担した拠点整備地区に位置づけられるとともに民間による二大リゾート計画も進行しているところであります。そのような中におきまして昨年度開催しました「二一世紀を拓く」シンポジウム「人と海と太陽!ニライの海に新しい明日を求めて」は、これからの海の新しい利用のあり方と陸域の開発との調和、そして海洋資源の開発をめざし、海を村づくりの中に積極的にとり入れ、陸域と海域相互の共存共栄という新しい理念にもとづいた施策の展開を志すものであります。
ロマンに満ちた壮大な計画が時間を要しながら実現の運びとなっており、全村民の深い御理解と御協力を心からお願い申し上げる次第であります。
※文字数制限越え。続く。