読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1987年4月発行 広報よみたん / 18頁

しっかりがんばって!! 一年近くも区内の子供(小学生)の面倒を見る!!親志区池宮城秀平さん 【写真】

 父と子の二人暮し、しかも父は急病で長期入院、残された子供はどうするか、施設に預ってもらうか、いや、子供もいやがっているし-。周囲や学校がそんな思案に暮れている中で「私に世話させて下さい」と子供を引き取り一年近くも面倒を見たのは、親志区の区長をしておられる池宮城秀平さんです。
 池宮城さんは区長として、又、民生委員、児童委員として様々な問題や相談を受けている関係で、この問題にも始めから関わることになり、学校や、教育委員会、役場厚生課へ何度も足を運び相談をしましたが、なかなかうまい方策が見つからない。そこで「全く知らない仲でもないし、自分で引き取って面倒を見た方が一番いい方法だろう。」と決心して約一年近くも面倒を見ることになりました。
 以前から病気がちで父と子のさみしい生活をしていた”たけし君”は、池宮城さんに引き取られた頃は口数も少なく、なんとなく暗い子供だったとか、しかし、池宮城さんを始め、奥さんやおばあちゃんの温い家族的な思いやりの中でしばらくすると、とても活発になり、学校での友達も増え、少年野球のクラブ活動までやるようになり明るい笑顔も見られるようになりました。
「とにかく引き取った当時は暗い子でしたが、本当はとても素直で明るい子なんです。自分の子供はもう大きくなって手もかからなくなったし、たけし君が来て、又子供の世話というと家族でも多少の不安はあったんですが、しばらくすると、とてもかわいくなり、本当の子供のような気がしてきました。」と話す池宮城さん、この子のためならと、少年野球の用具も一式揃えてやり、勉強部屋も与えてやりましたが、あまやかしてはだめと、毎日の日課をたけし君に与えて責任を持たせるなど、しつけの面にも気を配りました。
 父親がようやく退院して、、たけし君が家へ帰る時になると、たけし君もなかなか帰りたがらない。池宮城さんも「とてもさみしい気がしましたし、又、元の生活にもどると、この子は大丈夫だろうかという不安もありましたが、やはり、親と暮らすのが当然のことだから。」と思って送り出すことにしました。
 お別れの時、池宮城さんはたけし君に向って「お父さんと二人しかいないのだから、苦しいことがあってもしっかりがんばってよ。何でも相談になってあげるからいつでも遊びにおいで」と送り出しました。
 他人の事など、まして子供の面倒なんて、とても自分のことで手いっぱい、そんなせちがらい世の中の風潮がある昨今ですが、この例はとても温い人間そのものを感じさせます。たけし君がこうした周囲の支えに人間の温さを知り、りっぱに成長していくことを願ってやみません。

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