「いってきます!」今日も子どもたちは、フェンス沿の小道を元気に駆けていきます。フェンス1つ隔てた向う側には、軍服を身に着けた米兵がかっ歩しています。毎日みられるその光景は、子どもたちの眼にどう写っているのでしょうか。何の違和感もなく当然のこととして受け止めているのではないでしょううか。また、それは私たち大人にもあてはまる事ではないかと気づいた時、私は大きな不安を感ぜずにはいられませんでした。
私には「しゅうと」がおりません。娘たちの「なぜ、おじいちゃんはいないの?」の問いに戦争で亡くなったこと、そして夫が一度も父親に抱かれたことがないことを話しました。
「かわいそうに!でも戦争って本当にあったの?」そのことばに私はハッとしました。まるで信じられないというような顔つきです。子どもたちにとって戦争とは、テレビなどで見る一つの物語として捉えていたのでしょう。
復帰後、私たちの生活は豊かになってきました。今や文明の利器に囲まれ、人々は不自由のない生活を送っています。そんな中で改めて戦争や平和について考えることは極めて少ないのではないでしょうか。
そんな折、戦没者の霊を慰める遺族会のシーミー祭が去った五月に行われました。私は戦争について考えるいい機会だと思い、娘と共に参加しました。「しゅうと」の最後の地であろうと伝えられている南風原陸軍病院跡は、今ではのどかな田園風景をみせ、凄まじい戦いがあった所だとは想像だにできません。壕の入口は固く閉ざされ、時の流れを感じさせました。「こんな所が病院だったなんて!」娘は、そうつぶやきながら花束をたむけていました。
壕の中は満員で、すぐには入れない傷ついたたくさんの人々がいてその光景は、悲惨をきわめていたと伝えられます。どんなに苦しかったでしょう!どんなにつらかったでしょう考えただけでも胸が痛みます。年老いた遺族の方々の涙するのを見ていると、人間の一生を悲しみで包むようなことは決してやってはいけないと強く思いました。
私たちの世代は、戦争を直接体験してはおりません。それ故、人間性を否定する戦争の恐ろしさや醜さは、本や体験者の語りを通してしか知ることはできません。しかしながら私にとって決して忘れることのできない事件がありました。一九六五年六月十一日に起こった棚原隆子ちゃん圧殺事件です。当時、高校二年生だった私は、友人と三人で家路を急いでおりました。その日も、いつもと同じように落下傘降下演習が行われており見なれたその光景に何の不安もなく歩いていました。すると、何かしら大きな物体をぶら下げたパラシュートが私たちの方をめがけてグングン近づいてくるのです。とっさに身の危険を感じ、カバンを放りなげ大声で泣きわめきながら逃げまどいました。その大きな物体は、私たちの頭の上を通過し、そしていたいけな少女の命を無傷にも奪い去ってしまったのです。私たちは、恐怖のあまり全身の血の気がひいていく思いで、ただただふるえて立ちすくんでいました。まもなく、私たちの前を見知らぬおじさんに抱きかかえられてきたあの子の姿が、今もって忘れることはできません。戦争を知らない一人の少女が戦争目的のための演習で、なぜ犠牲にならなければならなかったのか、私は怒りと悔しさと涙でいっぱいになりながら、抗議デモに参加したことを思い出すのです。その後も基地あるがゆえに起こった事件は後を絶ちません。
よく「歴史は繰り返す」といいます。真実を伝える記述の削除、修正を求める教科書検定問題や国家秘密法案、あるいは強行な押しつけによる日の丸・君が代問題などにみられるように今、軍国主義の復活が懸念されています。また、経済大国としての地位を謳歌し、軍事費一%枠突破にも見られるように軍備増強が止どめようもなく進み、平和とは全く反対の方向へとテンポを早めて進んでいるのではないでしょうか。日本の軍事力は、いまやアジアで第二位、世界で第八位といわれます。これ以上、軍備を増強すればどうなるのか、考えてみて下さい。恐ろしくなるのではありませんか!
また、私たちの周囲に眼を移すと、米軍の特殊部隊配備、落下傘降下演習、そして自衛隊基地の増強など基地の縮少どころか機能の強化・拡大の方向へ進みつつあるのが現状です。
戦争は、ある日突然やってくるものではありません。小さな出来事の積み重ねの結果として戦争への道を歩むことになるのです。
戦後四〇年余、戦争を知らない世代は増えつづけています。一般住民をまきこみ、子どもたちをまきこんでいった、あのいまわしい沖縄戦が過去の記憶の彼方へと遠のいていきつつあるのです。
私たちは、今こそ戦争の悲惨さを認識し、子どもたちに二度と戦争体験を語らせないためにも「命ど宝」の世を願い、それを最上の教訓として語りついでいこうではありませんか。
その為に私たちは今何ができるか、それぞれ自分にできる事柄を考え、機会を捉えて学んでいくことが大切だと思います。身近かな戦争体験者から話しを聴いたり、基地や戦跡巡りをし、まず関心をもつことからはじめようではありませんか。
「心さわやかに沖縄の新しい歴史を切り開いていこう!」との呼びかけのもと、あの極東一の嘉手納基地を人間の輪で包囲しようというユニークな平和運動が六月二一日に行われました。私は家族と共に参加し肌で感じる体験をしてきました。このことは子どもたちにとって単なる「手と手をつなぐ行動」だと思うだけに止どまったのかも知れません。しかし、どしゃぶりのあの雨の中、二万五千人という大勢の人々が平和を願うあの姿、あの手のぬくもり、そしてあの空気はより身近かな事として平和を考える「芽」を植えつけたのではないかと思っています。
私たちは、昔から諭されてきた「命ど宝」のことばのもつ重さを今一度強くかみしめ、広く人類が人間らしく生きる指針として大事にしていきたいものだと思っています。