読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1987年9月発行 広報よみたん / 5頁

【見出し】躍動!!残波大獅子関西に轟く 【写真:大きな反響を呼んだ残波大獅子太鼓の関西公演いろんな人々との出会いもあった】

 結成から一年半、読谷に生まれた若者達の叩き出す太鼓の響きは彼等の活動を正しく理解する多くの人々に支えられ県内外にその拡がりを見せている。
 八月二十三日より三十日までの八日間、京部、和歌山、大阪の文化人・市民グループに招かれた今回の関西地区演奏ツアーは、八回の公演が組まれ、受け入れから、ステージ環境含めて細部に渡り気が配られ、残波大獅子のメンバー全員感動の連続、太鼓を叩くバチにも一段と気迫がこもった。

 京都公演-八月二十三目-
“オキナワフェスティバin京都”と名付けられ、京都の市民グループ沖縄を考える会、丸木美術館京都友の会が実行委員会を組織した。公演は大阪がじゅまるの会のメンバーのエイサーの賛助出演そして残波大獅子太鼓のメンバーあこがれの世界の太鼓奏者、林英哲さんが激励演奏に駆けつけた。

 和歌山公演-八月二十四日-
 動く美術館読谷展で残波大獅子太鼓の演奏に接した舞踊家長谷川トシ子先生がこの太鼓と若者達の躍動感を和歌山県民に伝えたいという熱意が和歌山県内を動かし、和歌山文化協会と残波大獅子太鼓和歌山公演世話人会の主催で公演は三回とも大盛況をみた。
 公演は和歌山東急イン、和歌山市民会館で行なわれた。和歌山市民会館では、地元和歌山躍虎太鼓の讃助出演を受け、和歌山、沖縄の若者達の文化交流があった。
 今回の和歌山公演の橋渡し役、動く美術館の川島博先生も東京からおみえになり残波大獅子太鼓の紹介をなされた。
 和歌山と沖縄は、黒潮文化の共通性があり、今回の公演がさらに文化交流として発展していくものとして期待したい。

 沖縄-大阪太鼓合同公演二十七日~二十九日
 今回の公演ツアーのきっかけとなった地であり、残波大獅子太鼓のメンバーが叩いている太鼓のふるさとである。今回も直径一・四メートルの大きな太鼓がここで購入された。
 合同公演をした太鼓集団鬼瓦は去る六月に読谷に来村、残波で大阪の太鼓を響かせた。メンバーの代表吉井良久(三八)さんは、度々来村なされており、今回の大阪公演の事務局長をつとめた。残波大獅子太鼓のメンバーが大阪を訪ねる場合のお世話一切、太鼓の指導、を引き受ける等関係は深い。
 大阪における合同公演は、版画家の儀間比呂志先生、おなじみの金城実先生をはじめ、関西地区読谷郷友会も公演前から大活躍、公演大成功のうら方を努めた。
 会場になった大阪市立浪速解放会館は二日間にわたり、大阪市民をはじめ、読谷出身者が多勢つめかけ、会場からは指笛、拍手が湧き、独特の雰囲気で盛り上った。
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 今回の公演ツアーは特に沖縄、そして読谷村の出身者が戦前、戦後を通じ大活躍なされている地域であり、公演の先々で、いろいろな方々が残波大獅子太鼓のメンバーを訪ね多くの交流があり、いろいろな意味で意義深かった。
 八月二十九日の晩には関西地区読谷郷友会(金城洪臣会長)主催の激励の夕べが沖縄県人会館(兵庫県)で盛大に開かれ、メンバーへの激励とともにふるさと読谷への熱い思いが語られた。
 多くの県人、読谷出身者の感激の涙を見たメンバーは、ただ「行って良かった、角度を変えた沖縄読谷を見れた。そして、多くの人々の自分達に対する心の通った受け入れに感謝したい。]と述べたのが印象的である。
 若獅子達、彼等の無我無中に走る現在に、大人の一般的、角度のきまったものの見方、考え方に今一度、反省をしなければならないのを彼等の行動がさらに示し続けるであろう。
 まずは、久々の若い快挙に素直に拍手を送りたい。
 十月は、東京中野公開堂、そして長野県松本市での公演が予定され、外国からの招待の声もかかっている。
 残波大獅子太鼓の若者達、ハツラツ読谷の息吹を世界に響かす日が近い。今後、益々期待したいものである。
    残波大獅子太鼓主宰
        新 垣 武 常

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