読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1988年1月発行 広報よみたん / 2頁

新春のごあいさつ 読谷村長山内徳信【顔写真】

村民の皆様!
 あけましておめでとうございます。謹んで新春のごあいさつを申し上げます。

 村民の皆様方には希望にもえた、新たな気持で新年を迎えられたことと思います。
 一九八八年(昭和六三年)の年頭に当り、村民各位の御多幸と御活躍、御発展を心からお祈り申し上げる次第であります。
 昨年は誠に多事多忙な年でありましたが、村民各位の心あたたまる御理解と御協力を賜り、一年を納めることができました。
 ここに衷心より感謝を申し上げ、あわせて新しい年が皆様方にとりまして輝やかしい、充実した年となりますよう祈念申し上げるものであります。

村民の皆様!

 歴史は人間の前にくり広げられ、未来へ未来へと進んでいきます。昨年は村民各位におかれましても、また読谷村においても、嬉しいことも、悔しいこともありました。人間の社会は喜怒哀楽の連続なのかも知れません。苦しいことも辛いことも一杯ありましたが、人の情と真心の有難さを垣間見ることの出来た年でもありました。
 前進の為に一年間をふり返えってみますと、▼ほぼ一年を通して村民ぐるみの国体「海邦国体」の準備・本番・そのしめくくりと、多忙を極めた。▼第二十三回全国身体障害者スポーツ大会(かりゆし大会)は障害者を中心に大勢の人々の協力で盛り上がった感動の大会であった。▼平和の森球場等の完成の喜び。▼読谷飛行場転用対策課の設置と読谷飛行場転用基本計画の策定。▼第三回残波まつりの開催。▼第十三回よみたんまつりは、例年を上回る盛況であった。村民の胸中にあるモヤモヤとした心境を吹き飛ばす気迫が込められ、盛会裡に終了した。▼第六回アンデパンダン展の開催。▼第六回動く美術館の開催。▼北海道池田町との児童交流事業。▼長浜川ダム工事の再開。▼喜名小学校のプールが完成する。▼残波岬公園へのサイクル列車の開通は子供達に大変よろこばれ夢をあたえた。▼非核宣言の石碑(今までは木板)の設置。その他特筆すべき字の行事として▼座喜味の「第二回農村アメニティーコンクール(快適な生活環境)」において国土庁から優秀賞を受賞、生れ島の良さを知る機会となった。▼楚辺まつりにおける嘉手納町の野里部落との「アシビトイケーイ」は、六十年ぶりのことであり、いかなる戦争(基地)といえども人間の絆や文化を断ち切ることは出来ないことの証左であろうと思いました。
 確かに昨年は試練の年でありましたが、試練を乗り越え、一歩一歩、道を切り拓いてきた一年でもあったと思います。それを支え励まして下さったのは、村民の善意と誠意、理解と協力、将来を見通せる視野と知性であったと思います。

 人は人生に足りぬものがある。
しかし、補いているものもある。
         エマーソン

 エマーソンのこの言葉と同じ意味を持つ教訓歌が沖縄にも「チンサグの花」の中にあります。
 大勢の村民が一生けん命取り組んでいただきました、あの手づくりの海邦国体(少年男子ソフトボール)の受け入れ態勢。あの、手づくりの第十三回読谷まつりに示された村民の気迫を見ました時、私は感激の涙を胸深く押さえておりました。
 神でない人間に百パーセント完全なものはありません。苦境に立つことを余儀なくされた場合、村民が心静かに理解し合い、団結し対処していくことほど大切なことはないと思いました。私は村民の温かいその気持を、あのまつりの中で見せていただきました。
 それこそ村を愛する気持と、住みよいふるさとを創ろうという誠意と情熱、理解と協力の姿でありました。
 われわれ人間は限られた命でありますが、自治体としての読谷村の「生命」は未来永劫にわたって存在する不滅のものであります。永遠の生命力を持つふるさと読谷の発展の為に、お互いに力を合わせて頑張って行くことが重要であります。
 時々刻々と世界の情勢が変化する複雑多様な時代であります。このような時代に最も大事なことは、人生を生き抜く哲学を心の中に秘め、激流に巻き込まれないことが肝要であります。
 ここで云う哲学とは、人間の命の尊厳さと文化と平和を、この地域、この地球上に実現し、後世に伝えていく、そう言う義務と責任を負わされた哲学のことであります。
 最後に、一九八八年の新春に当り、村民各位の御多幸と御発展を祈念申し上げ、あわせて読谷村発展の為、皆様方の一層の御理解、御協力、御支援を心からお願い申し上げ新年のご挨拶と致します。

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