私の住んでいる読谷村は、人口約二万九千人。東に緑の山なみが広がり、西は東支那海に面し、比謝川や残波岬の美しい自然に恵まれた、すばらしい村です。
むかし、長浜、比謝川口の港から船出して遠い南の国々まで出かけて貿易を行い、文化の交流で産業経済をおこし、地域の発展につくしたということです。
海がとてもきれいで、コザ保健所による水質調査の結果、読谷村の海は、海水浴に、最てきであることが実証されました。
また、海の幸にも恵まれて、漁業も盛んです。
農業も盛んで、おもに、さとうきび、最近、スイカ、メロンも特産物になりました。
伝統工芸としては、読谷山花織や焼物が代表的なものです。
特に読谷山花織は、村内の花織技能者二二五人の方々がせい作にあたり、本土にも出荷され、去年一年間の売り上げ高は、八千万円にものぼるそうです。色とりどりの幾何学もようの美しい織物はとてもひょうばんがいいそうです。
また、焼物では、人間国宝となった金城次郎先生をはじめ、約三十人の方々が、せい作にあたっているそうですが、私の楚辺にも玉田さんといういろいろな賞をもらった有名な方がいらっしゃいます。
楚辺には沖縄のサンシン音楽を初めにひろめたと言われる赤犬子が、まつられています。
座喜味には組踊りで有名な護佐丸がきづいたという、座喜味城跡があります。
読谷村で一番大きな広場は、残波岬のいこいの広場です。大きなシーサー、ローラースケート場、テニスコート、運動広場、ゆめのサイクル列車にランデブー自転車、どれもこれも、読谷にしかない大きな宝物です。そこはリゾート観光地としての計画が着々と進められています。
福祉センターは、読谷村の真中にあり、村民の福祉のために役立っています。そのとなりには、国体のソフトボール会場が作られました。国体まであと五十日、私達も団体演技でがんばります。 私は緑が多くて、海水がきれいな読谷村がすきですが、一つだけ残念なことがあります。
それは、アメリカ軍用地が、村全体のおよそ四十七%、約半分をしめているので、農業や村づくりが思うようにできないのです。読谷飛行場あとでは今でもアメリカ軍のパラシュートえんしゅうが行われ村民はめいわくをこうむっています。
もし、その広い軍用地が私たち村民に返かんされるのなら、その土地を村民のために、ゆうこうに利用できるのですが。
もっと住みよい豊かな読谷村にするために私は次の四つのことを提案したいのです。
第一に、大きな総合病院を建ててほしいです。村内には、大きな病院がないので私たちは沖縄市まで行かなければならないのです。
第二に、役立つ人をそだてるために国立大学を建ててほしいです。
第三に、げきや、オーケストラが鑑しようできる、すばらしい村民会館を建ててほしいです。
第四に、古堅小学校に、もっと広い運動場と図書館をつくってほしいです。
これが私のゆめ、願いなのです。
二一世紀に向けて
はばたく読谷村
ひらけゆく読谷村
心豊かな、活気のある読谷村にするため、私たち一人一人が手をとりあって、明るい住みよい読谷村にしていきたいものです。