読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1988年3月発行 広報よみたん / 4頁

第6回池田町・読谷村児童交流から 北海道に行って 喜名小学校6年吉田鉄太郎 【写真】

「うわあ……すごいな。きれいだなあ。」
 これが、間もなく、北海道の釧路空港に着陸しようとする飛行機の中でもらした最初の声です。
 北海道の広野に、白いペンキをぶちまけたようなきれいな雪。実物の雪をしかとこの目で見たのはもちろんこれが初めてです。そのすばらしい景色にしばらく目をうばわれてしまいました。
 空港に着くと、去年の夏に読谷村に訪問にきた池田町の交流団の方々がおむかえにきてくれました。
空港からでると、一面の銀世界に興奮して、雪にとびつきたくなるくらいでしたが、さっそく氷のせいでころびそうになった人がいたようです。
 飛行機や乗り物などで四時間以上ゆられてきたので、池田町のバスにのっても早く池田町についてくれないかなあと思い、ぼくのパートナーの丹保公樹君に、「池田町まであと何㎞ぐらい。」とたずねると丹保君は、「あと三百㎞ぐらい。」と平然と答えてくれました。三百㎞といえば沖縄本島の北のはしから南のはしまでいってもまだきょりがある長さです。その時から「ああ、北海道って大きいなあ。」
とつくづく実感しました。
 車は少し走った所で、つる公園という所にいきました。その公園は現在工事中で、つるは金あみの中にいましたが、入場料が無料だったので、おじさんたちは喜んでいました。
 自分の目でつるを見たのは初めてだったのでとても感げきしました。
 池田町についたのは、五時ごろでしたが早くも空はまっくらになっていました。勤労青少年ホームという所にいきました。そこで今日、二月五日はお世話になることになりました。すると、青少年ホームの職員の人たちの中に、てっちゃんという人がいました。ぼくとそっくりの人で、とても親切でいい人でした。みんなとおしやべりをしながら第一日目が終わりました。
 二日目は、石井町長さんから池田町に関する色々なお話しを聞いた後、パートナーの丹保君の家族と、平安さんのパートナーの家族の人たちと、新嵐山スキー場という所にいきました。最初はそりだけしかのりませんでしたが、後からスキーに乗りました。十回ぐらい転んでしまったけど、初めての体験だったので、とても楽しかったです。その日と次の日は、丹保君の家にお世話になることになりました。とても工夫されていて、ぼくのことも色々考えてくれていて、とても感げきしました。 三日目は、冬まつりに参加し、練習したエイサーをひろうしました。それから気球や迷路などものったり、入ったり、ハンバーグ、ソーセージ、ブドウジュースや牛乳なども食べたりしました。カーリング大会では、丹保君のチームが優勝したそうです。おめでとう。
 そしてその夜、丹保君のお友達のこと、そしてさっぽろ雪まつりや広大で雄大な北海道のこと。なんといっても大変お世話になった山口児童文化研究所の方々、池田と読谷の役場の方々のこと、村長さんが出発前におっしゃったように、心がとても成長したようにかんじます。
 本当によい体験ができたと思います。本当にありがとうございました。
 五日目は、とうとう池田からさり、さっぽろに行く日です。たった四日間だったけど、帰りたくないと思っていたけど、無情にも電車がきてさよならです。三時間ぐらいの電車の旅を楽しみながらさっぽろについた時は雪がふっていました。
 さっぽろへつくと、さっそく雪まつりを見に行きました。とても大きな雪像などを見てとてもかんげきしました。そしてその後、ジャンプ競技で有名な大倉山シャンセを見学して北海道青少年会館にとまりました。
 そして、最後の六日目です。雪まつりの真駒内会場を見学してから空港につきました。空港につくと、これまでのことが走馬灯のようによみがえります。釧路であたたかくむかえてくれた池田町の人たち、丹保君や、体も心も大きかった丹保君のお母さん。冬まつりや池田小のこと、てっちゃんさんのこと、池田町のこと、みんなで楽しく入った温泉、あきあじなべがきて、みんなですしやチキンを食べてお話しをしたりして楽しい一日をすごしました。
 四日目は、丹保君や丹保君の友達と池田小学校にいきました。とてもきれいな学校で「うらやましいなあ」とつい思ってしまいました。池田小だけでは、四人の交流団員がお世話になりました。かんげい会を開いていただいたり、ソリにのったりして、とてもいい思い出が作れました。
 その後は、青少年ホームに帰り、スノーモービルに四回ものりました。スリルがあってとてもおもしろかったです。後は、もちつきをしたり、五目ならべをしたりして夕食会をむかえました。夕食とってもおいしかったです。

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