沖縄県は二回ある。戦前の県知事は日本政府の任命で全部で廿七名。沖縄出身者は一人もいない。任期がわずか数ヶ月というのが六人もいた。ひどいのは只の七日で、小田切知事は赴任さえしなかった。
しかし死を覚悟して赴任した島田知事のような人もいた。
本当に沖縄のことを考えていたといわれる第二代目の上杉県令は、かの有名な戦国武将上杉謙信の第十四代目の子孫に当る。県下を虱潰しに巡回して、一八八一年十二月二日には読谷山番所に一泊。地頭代らに民政万般にわたって親切な指導をしたが、当間切が学校開設に熱心であることを知って、「将来学事ノ盛大ニナル機孕ミタルヲ喜悦」した。 アメリカ世には、米軍任命の行政主席が五代続いた。その初代は本村出身の比嘉秀平氏であった。そして本土復帰で沖縄県が復活すると、初めて沖縄人の沖縄県知事が誕生したのであるが、その初代県知事もまた、本村出身の屋良朝苗氏であった。