い高齢者数が十一・二年後には凡そ三人に一人の割合になると言われています。これまた、働き手にとっては大変な重荷であります。
そこで、国は高齢化社会に向かっての福祉や医療、赤字国債の償還のお金を、恒久的に確保する必要があるといって、消費税なるものを導入して、世の中は、その廃止か見直しかで、今大混乱が生じている。この消費税は、税率三%であるが、課税の対象が広く税率は低くても、たくさんの税収が確保できるから、大型間接税といわれています。
長寿社会の最大問題である定年者再就職問題などは、この消費税論争にかき消された感じがする。定年で仕事を辞めて年金や退職金で生活が維持できる人は一割程度にすぎず、八割の人たちは、家族の生活を支えるため、再就職しなければならないのが現実であるようです。経済大国といっても高齢者にとっては、きびしいものがあります。
人間は、朝起き目を覚ましたとき、今日は何をするかということが見つからない日が一週間続くと確実にその人はノイローゼになるとある専門家は語っています。わたくしたちも同様、働くことが生活のバネになって、生きていけるのではないでしょうか。
この定年者の再就職問題をいちはやく見越して、日頃より何か社会に役立つ仕事をしたいと考え、人生は最後まで何かの意味で、生産性のある生活をすることが、人生の喜びであると主張され、現実に必要性を感じている人でないと考えつかない計画を長い間自分の手元であたためたものが、定年者の再就職に重きをおき、六十歳から七十歳代の人たちだけで十分運営できる軽作業の企業を開発経営して、今多くの定年者を再就職させて、その高年者の生活に快適を与えている人がいます。その方は、渡慶次出身の老人クラブ仲間の玉城國市氏であります。
これは、村の協力を得て、読谷西海岸に海浜リゾートを、地主を中心に誘致して、その「うけざら」会社として設立したものと聞いています。
時代はいつもチャレンジ精神を必要とします。高齢化社会でも、最後まで生産性のある生活を自ら見つけ出し、人生を生き抜く精神これが高齢化社会を生きる心の発見、喜びの創造であると思います。
地域の事情などで社会活動の様子が異なりますが、玉城氏は地域の社会福祉にも熱心な方で、定年退職後の第二の人生を色々と迷い悩む方々、あるいは再就職の必要のある方など、ご苦労さまと迎え入れ、相手の身になって相談を受ける心の温い方でもあります。
実は私、昭和五十年六月に、生死の間をさまよう大病にかかり、片肺摘出手術を受け、奇跡的に大病から脱したものの障害を持つ身となり、十五年間も自宅で静養をしています。そんな絶望的な状況の中にある私のところに親友として、学習仲間として自己の肉親以上の親切を尽くしてくださいます。時には、週に二、三回も訪ねていらっしゃいます。まわりの人からも、立派な方ですねと、その人格を誉めています。私は氏の思いやりのある燃えるような情熱と至誠心に、毎朝目を覚ますとともに感謝しています。
時間の制限があり、私に対する氏のご厚意を逐一申し述べられませんが、私が氏のご厚意に守られ生かされ、愛され、恵まれて、しみじみと心の触れ合いの中で、生きる心を見つけ喜びを味わっていると、昨年九月の或る日、「真充君たまには気分転換に外に出て見ないか。」と話かけて下さいました。
実は九月十六日、第二回読老連主張大会があるから行こうと、まるで母親に甘やかされた登校拒否児でもあやして、登校を進める母親のような話しかけで、場所は福祉センターだから来てね一と言って当日の時間まで告げてかえられました。そして、わざわざ当日タクシーまで頼んで寄越して下さいました。
私も、老人会に加入していましたので、折角の志しでありますから、昨年は生涯学習元年と華々しく報道されましたし、これも人生の学習の積りで積極的に参加しました。
暫して、会の進行ぶりを拝見して、ただ驚くばかりでありました。十五年前、老人会のお世話をさせていただいていた時は、すべて村役場厚生課の職員と民生委員などの世話で催しものの運営を手助けしていたと思います。
あれから、当事者による心血を賭してのご指導によります現実の素晴らしい会の発展振り、二十有余年の組織の充実強化、親睦の誇り高い伝統の歴史を知り心より感動しました。
そして、昔想像もできなかった主張者の若い青年、賢明な婦人会にも勝るとも劣らぬ、それぞれの体験に根ざしたテーマで熱弁を振い大勢の前に精いっぱい主張を述べるさまは、非常に胸を打つものがありました。
同じ仲間からは、励ましの拍手喝采の嵐、優劣とは関係なく、若々しく、生き生きと、意欲に満ち満ちた人生に対する姿勢が、素晴らしく輝いていました。私はこの日の心温まる玉城さんの思いやりのある心の配慮は、終生忘れ得ぬ思い出の一つとなると思います。
私は病をして、病気の辛さ、苦しさ、おそろしさ、生命の尊さを学びました。無理の累積と、健康の法則違反が病気となり、いかに多くの方々に、ご心配とご迷惑をかけたか知れません。これを自己反省して、自分自身で丈夫で健康にならねば駄目だ、医者や薬は手助けのみ、丈夫になるには病人自身の力、心の立て替えを考えるのが一番大切であり、病気災難は心からなどと他にいろいろ体験し学びました。
失われたものを数えるな、残されたものを生かそう、つまり私も、障害を乗り越えて生涯学習を人生の大事な完結に向っての、いろいろな意味の目的で、老人大学などで、人生の先輩の方々により学び、これを目標に、心豊かに希望をのせて、人生を生き抜きたいと思います。
最後に、高齢化社会を生きる心の発見、喜びの創造を、玉城氏が企業の開発で実現され、これが夢でない以上、他の地域にも定年者再就職の企業を、国の施策を待つのでなく自ら企業の発見、創造設立する人が、どしどしあらわれてもらいたいと、心から願うものであります。