「日米開戦の日」の十二月八日より十二日までの五日間「第二回読谷村平和創造展」が開催され、日常生活の中から戦争とは、平和とは何かを共に考え、みんなの手で平和郷を築き上げようと、会場中央公民館ホールには、連日村内外より大勢の人々が訪れました。 開会にあたり山内徳信村長は「平和は守って行くものではなく、築き上げて行くものです。本日は太平洋戦争の始まった日。沖縄には六月二三日、八月十五日と忘れてはならない日が多すぎます。一九四五年四月一日、米軍上陸地点となったのは、ここ読谷村であ
りました。戦争を知らない世代に.戦争の悲惨さを伝え、人間、人権を大切にする平和郷を創造して行きましょう!」と力強くあいさつしました。
会場には、その昔「武器を持たない島」として平和郷を築き上げた我が琉球、我が読谷山の人々のゆたかな歴史・文化がパネル、民具、模型等で紹介される一方、誇り高き友好民俗沖縄の人々が戦争一色にぬりつぶされて行く沖縄戦へと一転して行きます。
米軍上陸、鉄の暴風荒れ狂う殺りくと載りつの日々。痛痕のきわみチビチリガマ、クニー山壕の集団自決。
沖縄史上かつてない地上戦で数十万の尊い生命が奮われ、辛酸をなめつくした沖縄県民の姿が、廃虚と化した沖縄の姿がありました。あれから四十四年、今尚、村全土の四八パーセントを軍事基地で占められ、基地あるがゆえの事件、事故は後を絶たず基地闘争は続きます。
そして、沖縄に潜む核疑惑に広島、長崎の被爆写真は、警告を発しています。
明るくたくましい読谷村民は先しんしゅきしょういま人達の進取の気性、勇敢さを現代に受け継ぎ、「人間性豊かな環境・文化村づくり」、「平和郷づくり」へと地域ぐるみで取り組み、明るい未来へと翔く。