読谷飛行場用地は、読谷村第一の平野である。この平野は戦時中日本軍の臨戦飛行場として接収され、戦争が終れば土地は返す」と説明が行われた。今それが、やっと果たされようとしている。
この用地を器として、21世紀に向けた新しいむらづくりが歩み始めるのである。それは、戦争にうちひしがれ、基地の重圧に呻吟してきた村民の未来に対する夢と希望の実現であり、子孫に対し、より文化的に,より平和的に生きんとするむらづくりの実践の場所である。 さらに、21世紀の歴史の此判に耐え得るむらづくりの拠点として、沖縄の亜熱帯農業の黄金の花を咲かせ、かつ公共公益施設を位置づけ、人々の英知を結集し、従来の発想を超えた人間の夢とロマンを実現する中心地域となる場所である。