読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1989年12月発行 広報よみたん / 5頁

『集団自決』クーニー山壕 遺骨見つからず遺族ら無念の涙まださめやらぬ戦争の傷あと 【写真:1】

 去る十一月二十九日より始まった厚生省遺骨収集団(高野実団長)による読谷村長田原クニー山壕(嘉手納弾薬庫地区内)の遺骨収集作業は、遺骨一柱も見つからないまま十二月十二日作業を終了終了した。
 壕内には十五柱が眠っていると言われ、そのほとんどが伊良皆区民。必至の作業にもかかわらず、遺品二、三十点が収集されただけ。生存者の確かな証言があっただけに、遺族らの新たな涙を誘った。
 クニー山壕は、金網を張りめぐらされ普段は入ることできない基地の中。戦後四十四年の歳月はあまりにも長すぎた。

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