去る十一月二十九日より始まった厚生省遺骨収集団(高野実団長)による読谷村長田原クニー山壕(嘉手納弾薬庫地区内)の遺骨収集作業は、遺骨一柱も見つからないまま十二月十二日作業を終了終了した。
壕内には十五柱が眠っていると言われ、そのほとんどが伊良皆区民。必至の作業にもかかわらず、遺品二、三十点が収集されただけ。生存者の確かな証言があっただけに、遺族らの新たな涙を誘った。
クニー山壕は、金網を張りめぐらされ普段は入ることできない基地の中。戦後四十四年の歳月はあまりにも長すぎた。
去る十一月二十九日より始まった厚生省遺骨収集団(高野実団長)による読谷村長田原クニー山壕(嘉手納弾薬庫地区内)の遺骨収集作業は、遺骨一柱も見つからないまま十二月十二日作業を終了終了した。
壕内には十五柱が眠っていると言われ、そのほとんどが伊良皆区民。必至の作業にもかかわらず、遺品二、三十点が収集されただけ。生存者の確かな証言があっただけに、遺族らの新たな涙を誘った。
クニー山壕は、金網を張りめぐらされ普段は入ることできない基地の中。戦後四十四年の歳月はあまりにも長すぎた。