読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1990年1月発行 広報よみたん / 7頁

決定!!「平和の森球場」をキャンプ場へ 福岡ダイエーホークス共同記者会見 二月・大量読谷入り プロ野球の醍醐味を大いに期待

 福周ダイエーホークス90年春季キャンプ場がこの稚読谷村の「平和の森球場」に決定。その共同記者会見が去る十二月四日、村中央公民館ホールで行われた。
 会場は決定の喜びに湧く村内の各種団体代表者や大勢の報導陣で熱気ムンムン。山内徳信村長、儀保輝和村議会議長、松田昌彦村商工会々長ら村側代表とダイエー側から坂井保之球団代表、十月に就任したばかりの田淵幸一新監督が会見に臨んだ。
 ダイエー側はキャンプ場決定の要因について、一、地元の熱意、二、練習施設、三、宿泊施設、四、天候、の四点を挙げ全国くまなく調査・検討した結果、条件を具備している本村に決定した事を説明、球場施設についてはこれから細い手直しを要するものの、両翼95m、中堅120mの大型施設を高く買っており、プロからのお墨付きをもらった格好。球場建設に際しては当初より「プロに通用する施設を!」とのねらいがあり、他に県内初の屋根付観覧席も備えでいる。
 このところ県内各地では、プロ球団のキャンプ場受け入れや誘致合戦が盛んに行われて
おり、本村においても村民の声を繁栄すべく誘致に乗り出し始めていた。そんな矢先の朗報だけに喜びもひとしおで、山内村長は「復帰後における第二のムラづくりのステップとしたい。」と抱負を語っていた。
 平和の森球場は、幾多の苦難を乗り越え読谷村民が英知を結集し、日米共同使用の名の下昭和六二年旧読谷飛行場内(米軍用地)に築き上げたもので、その年の「第四二回国民体育大会」(海邦国体)における少年男子ソフトボール競技の会場となったところ。青春と情熱をかけた熱闘が繰り広げられた。
 「平和であれ!」との村民の願いからその名も「平和の森球場」と名付けられ村内外の利用者で親しまれている。奇しくも球場建設にあたっては福岡「平和ムH球場」を徹底調査した経偉があり、命名決定の誘因ともなった。この偶然の巡り合わせに山内村長も感慨深げであった。
 平和のシンボル・スポーツの拠点「平和の森球場」がまたひとあじ違うスポーツの場へと展開されようとしている。豪快にして華麗なるプレーはとりわけ青少年に夢とロマンを抱かせてくれるだろう。二月からの大量キャンプ入りを心持ちに村の受け入れ準備は進められている。

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