読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1990年2月発行 広報よみたん / 5頁

ユンタンザ 夢づくり マチづくり シンポジウム=第三セクターによる組織づくりの可能性を探る= 読谷村商工会第三セクター設立調査研究事業実行委員会 【写真:1】基調講演 パーク七里御浜株式会社設立の経緯と課題について 宇井泰彦御浜町商工会長

 なぜ今第三セクターなのか?そしてその可能性は?
 去る十二月八日、村商工会第三セクター設立調査研究事業実行委員会主催による「ユンタンザ夢づくりマチづくりシンポジウム」が村総合福祉センターポールで開かれ、商工会々員や村内各種後援団体代表者ら多数が参加、活発な討議が展開された。
 「ムラおこし」でさまざまな事業を展開、一定の成果を挙げている村商工会(松田昌彦会長)が音頭とりとなり、資本金一億円、官民出資会社-第三セクター〔読谷村地域開発株式会社〕(仮称)設立の提案に動き出した。
 商工会では一昨年、理事会内に第三セクター設立推進委員会を設置▲基本理念-自立自助の精神に基づき、豊かな読谷村を創造するために、その機能的役割を担う。▲基本目標-①特産品づくり②快適な街づくり③村民共有財産と観光産業の有機的結合④活力ある組織づくりと人づくりのための情報サービス▲主要プロジェクトの年次計画▲組織構成と資本金等をまとめあげ、昨年より第三セクター設立調査研究事業を推し進めていた。
①経済構造が変っていく②零細商工業が多く競争力に乏しい③自立経済を創造し、地域経済発展の核となり得る組織が求められている一とし、①官民一体の団結力②村民共有財産とサービス機能との結合③制度上の利点、公的信用度の活用-をその提案理由としている。
 主催者を代表して実行委員長の松田商工会長は「本年、先の『ユンタンザむらおこし物産展』一紅イモシンポジウム、そして今回と二度にわたり地域経済シンポジウムが開催されることは特筆すべきである。世は真に国際化、情報化、多様化の時代にあり、社会的・経済的環境が急変する昨今、行政を軸とした官民一体となった組織化は肝要であり、多くの関係者の皆様のご理解をいただきたい。」と協力を訴えた
 来賓あいさつの後基調講演では三重県の宇みはまちょう井泰彦御浜町商工会長が「パーク七里御浜(株)設立の経緯と課題について」と題し、第三セクターに関する事例を発表。続いて主催者による基調報告、後半では、コーディネーターに平良恵三ローカル流通経済研究所長、宇井御浜町商工会長を助言者に、山内徳信村長、儀保輝和村議会議長、松田善康村農協長、松田昌彦村商工会長、池原栄順村職労委員長の五人をパネリストに「第三セクター方式による組織づくりの可能性を探る」と題しパネルディスカッションが行われ、行政主導型、総意に基、づく主体的開発であること等が確認され又、公共性と利潤追求のバランス、人材起用、経営責任の問題等が指摘された。

 パーク七里御浜株式会社設立の経緯と課題について
 宇井泰彦御浜町商工会長
 人口一万余、三重県最南端に位置し、古くから柑橘栽培の盛んな農業中心のまち御浜町は又全国でも交通の便の悪いところでもある。
 昭和五〇年代後半より「まちおこし」「活性化」の気運が高まりはじめていた時あたあたわかも、町立阿田和中学校移転計画に端を発した阿田和駅前開発が打ち出されるやその開発をめぐって、第三セクター方式による共同開発が大きくクローズアップされることになった。
 数々の議論を経た末、町民総意に基づく開発、地場産業の振興等を大前堤に昭和六
一年、資本金一億二千万円の「パーク七里御浜株式会社(代表取締役榎本信夫御浜町長)が設立され、又偶然にも相前後して昭和六二年、国(建設省)の打ち出した民間活力導入事業のコースタル・コミュニティー・ゾーン(CCZ)整備計画地区の指定を受けるという願ってもない好機に恵まれ昭和六十三年、ここに第三セクターによる「パーク七里御浜モール・ピネ」が三四億六千万円を投じて完成するに至ったのである。
 過大投資、人材起用等々の課題を残しつつも、過疎の一途をたどっていた御浜町が一念発起、自然景観に優れた七里御浜を核とした長期滞在型一大リゾート地に生まれ変わろうとしているのは第三セクターの成果であると言える。

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