読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1990年4月発行 広報よみたん / 2頁

平成2年度施政方針 日本国憲法の理念に立ち声高らかに「平和宣言」 人間性豊かな環境・文化村づくり

 第一九七回読谷村議会定例会が三月十二日より開会され、三〇日までの会期中に、平成二年度一般会計予算はじめ、水道事業、国民健康保険、老人保健、診療所などの特別会計予算や多くの議案が審議されました。
 三月議会は通称「予算議会」ともいわれ、四月一日よりスタートする新年度予算につい
て審議されるものです。中でも新年度予算の重要な裏付けとなる「施政方針」は、予算成
否の重要な「カギ」を握るものとされ、議会冒頭山内徳信村長は「平成二年度施政方針」
全文を読み上げ、議員はじめ村民の皆様のご理解、ご協力を求めました。
 日本国平和憲法の理念に立ち、地方自治の本旨に基づき、内外に声高らかに「平和宣言」するとともに「人間性豊かな環境・文化村」づくりを目標に諸施策を打ち出し、「二十一世紀の歴史の批判に耐え得る村づくり」を主体的・創造的に展開していくことを表明しました。
 広報よみたんでは、平成二年度施政方針全文を掲載し、広く村民の皆様にお知らせします。

一、はじめに
 本日ここに、第下北七回読谷村議会定例会の開会に当たり、一九九○年(平成二年)度の予算案をはじめ、諸議案の説明に先立ち、村政運営の基本姿勢と所信の表明を行います。議会議員をはじめ、村民各位の深いご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
 さて、私達は、昨年一月「激動と苦難の昭和」に別れを告げ、元号・平成を迎え一年間を過ごしてまいりました。
 世界は二一世紀を目前にして、大きく変革をとげつつあります。その一つは「自由と民主主義」の実現に向けての闘いであります。
今一つは「人権と平和」の確立に何けての努力であります。
 これらは、私達の予想をはるかに上まわる民衆による歴史的な闘いであります。それは、民衆による政治的改革の要求であり、人間としての自由な生き方への要求でありました。これこそまさに、国民主体の民主的な改革でありました。
 中国では民主化を求める国民の声が武力で押し潰され、悲惨な天安門事件となりました。南北朝鮮では民族統一を願う民衆の勇敢な動きが表面化してきました。
 ソ連のゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ(改革)に端を発し、ソ連国内の進行中の改革をはじめ、東欧諸国の動きは、ベルリンの壁の崩壊に象徴されるごとく、民衆の「自由と民主主義」「人権と平和」を求める声となり、次々と国家体制をも変え、その力は、世界史の大きな潮流となっているのであります。
 その動きは、人種隔離政策(アパルトヘイト)をとり続けてきた南ア共和国にも大きな影響を与えつつあります。
 この世界的大変革の底流にあるものは、政治体制のいかんにかかわらず、「自由と民主主義」「人権と平和」は、いかなる権力といえども、それを抑圧し、差別することは出来ない、という歴史的教訓を示したものであります。まさに、世界の現代史の潮流は、人類主権(国民主権)の時代となり、民主化の川へと大きく流れ込んでいる
のであります。
 我が日本にあっても、国民の真の願いであった消費税の廃止、リクルート金権腐敗・政治改革、農産物の自由化反対等に耳を傾けない政府自由民主党に対する参議院選挙の保革逆転は、そのことを物語っているのであり、現在の衆参のねじれ現象の政治状況は、国民の政治への不信と怒りの表現でありましょう。
 かって、佐藤総理は沖縄の本土返還に際し、「沖縄の核抜き本土並み返還」を表明したのであります。ところが、その期待は裏切られ、全国の米軍専用基地の七五パーセントが沖縄に集中しており、依然として沖縄は基地の島であり、読谷村も基地の村としてその重圧と苦悩を強いられてきております、
 そこで、第二の「人権と平和」の問題についてふれたいと思います。
 二〇世紀の大半は、人権と平和が国家権力によって無視されてきた戦争の時代でありました。我が日本にあっても、日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦へと続きました。戦後もさらに米ソ超大国の冷戦構造によって対立と軍備拡張が続き、沖縄はアメリカのアジア戦略の重要な要石として位置づけられ、異民族支配と米軍基地の重圧、さらに米軍演習による事故、事件は住民生活を圧迫しつづけております。
 戦後四五年目にして、米ソ超大国は、国家財政の破綻を背景に、核戦争による世界支配の論理が、人類滅亡への道であり、核戦争による勝利などあり得ない、とのマルタ会談によって、新しい平和共

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。