周りをコバルトブルーの美しい海にかこまれる、南の国、沖縄。
沖縄は、日本地図からみてみると、南西の方向に位置している。
さらに沖縄地図をひろげてみると、ちょうど真ん中の方に三角の形をしているところがある。その三角の形をした村こそ私達の読谷村だ。
面積三十五・一七キk㎡で、その小さな読谷村のなんと、四十八%が軍用地になっているという。残りの五十三%に、今、約三万二千人の人が住んでいるのである。
読谷村の人達は、心の暖かい人たちばかりだ。しかし、少しはずかしがりやの所もある。
緑が多く、景色がとてもすばらしい。「残波岬ロイヤルホテル」ができ、リゾート開発がすすめられているのも現実だ。
又、土地を改良して、質のよいピーマンやメロン・花作りなどがすすんでいる。
将来がんばっていく私達のために、親子水泳教室・星座観察・考古学教室など、いろいろな講座も開かれており、参加を楽しみにしている人も多い。
読谷村の伝統工芸には、「読谷山花織」や「読谷山焼」などがある。読谷山花織は、白・赤・黄・緑の糸を使って、いろいろな模様の織物をつくる。着尺・帯地.ミンサー帯・テーブルセンターなど。 「カッタコットンカタカター。」
私が初めて、その織っている人を見た時、「すごい。」と思った。一人の女性が一つの織物を作るために、長い時間をかけてがんばっている姿を目の前にするだけでも、その貴重さが伝わってくる。
私は、この間、美術館に行った。その時のパンフレットで、金城次郎先生の壷や、酒を入れる焼き物の写真を見つけた。どちらにも魚の絵があった。その魚の絵は、今にもとび出してきそうなぐらい勢いのあるものだった。
又、もう一つの上江洲茂生先生の大皿には花の魚がかかれていた。この二人の先生の焼き物をみると、色の違いがわかる。金城先生のは緑と黒を混ぜたような色。上江洲先生のは、緑とうすい青を混ぜたような色だ。同じ焼き物でもこういうふうに違いを見つけることができ、二人の先生の心にふれる思いがした。
「読谷山花織」にしても「読谷山焼」にしてもそこで生きている人間が心をこめて一つ一つ作った作品である。
数百年前から受けつがれた技術で、読谷村だけにある伝統工芸だ。それには、長い時間と労働力が必要であるが、出きあがった製品は、とてもすばらしいできばえである。そして村のほこりでもある。これからのこの伝統工芸が、私たちの手で守っていけたらいいと思う。
文化村とは、「世の中がひらけ、進歩し、学問・芸術・教育・宗教などにおいて、人間を作り出す村」、のことだと私は思う。
私は、これからの読谷村に、大きな文化図書館や、集会場などができればいいと思う。もっとたくさんの人が、たくさんの種類の本をかりられるようになるといい。人間では、処理できないほどに仕事があると思うので、コンピューターを入れて、コンピューターで本を探したり、バーコードで本を貸したり借りたりできるような、設備ができたらいいと思う。その文化図書館は、たくさんの人達が使うのだ。子供も大人も使い、気軽な気持ちで行けたら最高だ。大人は今のために、子供は将来のために、本をたくさん読んで、すばらしい人間をどんどん作っていく。集会場では、いろいろなコンサートが開かれたり、多くの人達と話ができる場がつくれたらいいと思う。
今までの読谷村の文化・伝統を大切にしながら、これからもすばらしい発展を続けていけるように私も努力したいと思っている。