読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1991年4月発行 広報読谷 / 12頁

※続き。原本 頁11~

(6)村民センター地区の整備促進・庁舎建設の推進

 村民センター地区の整備については、読谷飛行場転用基本計画の中に位置づけられ、その具体的な事業化に向け、これまで役場内に村民センター地区整備検討委員会を設け「読谷村庁舎建設基本構想(案)」を策定してまいりました。さらに、昨年度は、この庁舎建設基本構想(案)をはじめ庁舎建設に関する基本事項の審議のため、村民の代表を含めた庁舎建設委員会を発足させてまいりました。今年度も引き続いて同委員会の審議をお願いしていく所存であります。
 また、今年度は、庁舎建設をはじめ村民センター地区整備の具体化と業務の円滑な推進をめざし、内部体制の強化をはかってまいります。
 行政庁舎は、単に行政事務の中心施設であることにとどまらず地方自治のさらなる発展の場であるとともに民主主義、住民自治を創造する場であります。さらに、村民コミュニティーを醸し出す幅広い交流の場であり、活動の拠点ともなるものであります。
 したがいまして、広く村民に村し庁舎建設の意義について、周知をはかり、理解を得るとともに、広く村民め英知を結集して「二十一世紀の歴史の批判に耐えうる村づくり」の拠点となる行政庁舎の建設に向けて努力を重ねてまいります。

(7)緑化及び美化運動の推進

 自然の生態系の中において緑は小動物の生息、地下水の涵養、環境の浄化等様々な機能を持ち、また、人間の心を和ませる大切なものであります。かつての読谷は、緑豊かな郷土でありましたが米軍の上陸等沖縄戦の戦禍により荒廃してしまいました。しかしながら、戦後半世紀近くを経てやっと緑が甦えりつつあります。「樹木は親の代で種を蒔き、子の時代で育て、孫の時代で実る」と言われ、長い年月と労力を要するものであり、手を緩めてはならないものであります。
 本年度から次年度にかけて「新沖縄林業振興特別対策事業」を導入し、今年は親志砂良原の村有地に苗畑の造成を行い、樹木苗を生産し、防潮・防風林をはじめ緑化の推進に努めてまいります。
 美化運動については、婦人会を中心にバス停留所周辺、遊び場周辺、道路沿、公共施設の周辺等に四季折々の草花や観葉植物が植えられ、行き交う人々にほのぼのとした心の安らぎを与えております。この美化活動を村内の多くの団体・組織に広げ、集落内や空き地が花と緑に包まれた快適な住環境の形成をめざし、ノーベル平和賞を夢みる村民基金の活用等により施策の充実をはかってまいります。

(8)行政区改善の推進

 本村における行政区は、生活共同体あるいは地域共同体的な性格を有し、自主的組織として活発なコミュニティー活動が展開され、村行政の先端を担っております。この行政区も終戦後の軍用地接収等の問題で本来の集落形態が歪められ、さらには人口の社会増加等も相俟って様々な問題を抱えております。また、宅地開発や集合住宅の建設によって一定地域に新たな住宅地が形成されるなど既存の行政区では包含できない状況もあります。
 このような状況に対処するため、本年度は既存の行政区に加入することが困難な地域について、新たに行政連絡員を配置し、行政事務等が円滑に行われるよう対処してまいります。
 行政区は、村民一人びとりが主体的に参画し、自らの地域づくりをはかろうとする社会組織であります。したがって、行政区は地域活動の母体であるとの共通認識を持ち、協力と信頼による村づくりへの参加を促してまいります。

(9)平和行政の推進

 世界の潮流は、あのベルリンの壁の崩壊以来、米ソのINF全廃条約の調印、「マルタ会談」による東西冷戦の動きを経て、さらに全欧州規模での通常戦力削減と武力不行使、相互不可侵を取り決めた「パリ憲章」の調印と、冷戦後の平和共存社会の実現に向け動き出しておりました。しかしながら、昨年八月二日のイラク軍のクウェート侵攻以来の湾岸危機、今年に入って一月十七日未明(現地時間)から始められた多国籍軍の空爆による本格的な湾岸戦争への突入。そして、二月二十四日の地上戦へとエスカレートしましたが、二月二十八日(日本時間)のブッシュ大統領の戦闘停止発表で一応の終結をみました。
 悲惨な沖縄戦の体験から、私たちは一日も早く戦争が終わってほしいと願う毎日でありました。
 世界の人々を不安に陥れ、湾岸戦争への深い関心を抱かせたのは、戦争が拡大し、核兵器や化学兵器が使われ、地球規模の環境破壊につながるのではないかという強い危機感があったからであります。特に、これからを生きる若い人々にとって、自分達の未来を脅かすものへの不安が大人達の想像する以上に大きいものであったことをうかがわせております。
 一方、この湾岸戦争をめぐる動きに対し国連への重大な疑義も起こってまいりました。それは「戦争の惨害から将来の世代を救う」という国連の創設目的に真っ向から反すると同時に「戦争を発生させる恐れのある国際紛争に際しては、いかなるものであっても、交渉による解決を求めなければならない。とする国連憲章第三十三条に違反する決議が安保理で採択されたとするものであります。
 わが日本においては、アメリカの要請に応えて、九十億ドルもの巨額の資金援助を決定しましたが、これは明らかに戦争行為への支援であって、平和主義の国是に反するといわざるをえないのであります。私は、日本の資金援助は、停戦後の中東地域の救援と復興及び平和の為にこそ拠出されるべきものと思っております。
 また、国連もその創設目的である平和と安全の実現をめざし、主体的かつ積極的な外交が展開されるべきであります。
 「平和創造展」のアーチ門に掲げられている「戦争を起こすのも人間である。しかし、戦争を拒み、平和な社会を築きうるのもまた人間である。」この言葉の意味をあらためてかみしめたいと思います。
 戦争になってから、平和な社会の方がよいと気づいても遅いのです。私たちは、今日的な社会情勢の中で、日常的に平和を考え、実践していくことが益々重要となってまいりました。
 従いまして、恒久平和を希求する村民の意思に基づき、「読谷村平和行政の基本に関する条例」を本議会に提案し、更なる平和事業の推進をはかってまいる所存であります。

(10)比謝川沿岸整備事業の推進

 比謝川流域は自然景観にも恵まれ、戦前は史跡名勝地として沖縄八景にも選ばれ、比謝矼から泊城にかけては沖縄の観光名所として、県民に親しまれてきたところであります。
 ところが、去った沖縄戦では河口の渡具知が米軍の上陸地点となり、その後の米軍の基地構築等により大きく変貌してしまいました。
 また、戦後の人口増加や都市化の進展、上流からの使用水や汚水等の流入によって、かつての面影はなく、清流もその姿を失ってしまいました。
 かつての比謝川の清らかな流れと美しい岸辺の緑は、落ちついた風情を醸し出し、子供からお年寄りまで、男も女もみな自らその風景の中にとけ込み、豊かな感動と淡い感傷をわかちあう場でありました。そんな詩情あふれる水辺の良さを再び取り戻すことをめざして、比謝川沿岸整備事業を推進してまいります。
 昨年までに、比謝川プロムナード(遊歩道・自転車道)計画、泊城公園整備計画、比謝矼歴史公園整備計画等の基本設計も終えております。
 今年は、関係地主や地域への説明会を開催し、コンセンサスづくりに努めると同時に国、県、関係機関との調整をはかり、事業実施へ向けた取り組みを推進してまいります。

(11)海岸線の保全と整備について

 渡具知から長浜に至る本村の海岸線の延長はおよそ十五キロメートルあり、本島中南部西海岸の中で最も自然度が高く、貴重な存在となっております。
 残波岬は二十五メートル前後の断崖が、約一キロメートルにも連なる雄大な景観を持ち、県下でも屈指の景勝地であります。又、渡具知から楚辺に至る海岸は対照的に穏やかで、いかにも南国的な景観となっています。しかしながら、沖縄戦での米軍上陸や戦後の米軍基地の構築、無秩序な砂の採取によって荒廃し、侵食作用も進行しております。かつて人々が集い憩いの場となっていた砂浜はなくなり、わずかに楚辺から渡具知にかけその面影をとどめているに過ぎません。
 海岸は、陸域と海とをつなぐ重要な自然要素であり、海は村民共有のかけがえのない自然の財産であります。
 海を守り、海を培っていくことは私たちに与えられた責務であり課題でもあります。従いまして、海岸保全、海浜の利用をめざして、泊城から残波岬までの防風、防潮林としての緑化事業や自転車道、遊歩道等を計画し、残波岬一帯の公園整備と泊城から比謝橋に至る比謝川沿岸整備事業との一連化をはかり、具体化するための調査を実施してまいります。

※続く。

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