むかし、フチヂンという男の人がいました。その人は、お城にお勤めをしていて、毎日、王様へさし上げる食事を作る炊事係をしていました。
ある日、王様がフチヂンを呼んで言いました。
「フチヂン、おまえがいちばんおいしいと思うものは何か」
「そうですね、王様。わたしが大変おいしいと思うのは塩です」
と答えたとたん
「バカ者!わたしにむかって塩だと、そんな辛いものがおいしいというのか」と怒りました。
「おまえは島流しだ。わしに謀反を企んでいるにちがいない。波照間島へ行け!」
王様の命令で、泣く泣くフチヂンは波照間島へ行かなければなりません。
出発を前にして、フチヂンは釜の上の棚に、誰にも気づかれないように塩俵一俵を上げておきました。
それからまもなくフチヂンは、舟に乗せられ、遠い南の波照間島へ送られて行きました。
フチヂンの代わりに今度はカマラーという炊事係がきました。
梅雨に入り、毎日毎日雨が降り続けました。
カマラーがいっしょうけんめい食事を作ってさし上げても
「きょうもまずい!こんなものが食えるか」
王は様怒鳴りぱなしです。
カマラーは
「こんなに苦心して作ってさし上げてもうまくないとおっしゃる。わたしはどうすればいい、困った
ことだ」
と悩みました。
それからしばらくたって、カマラーが食事を作っている鍋の中へ棚の方からチョン、チョンとしずくが落ちてきました。おつゆを味してみると、とてもいい味でした。
「これだったのか」
カマラーは、きょうは王様が何と言われるかすこし不安な気持ちで食事をさし上げました。
おつゆをひと口飲むと、
「ん!おいしい。いい味だ。きょうはどうやって作ったのか」
と王様はカマラーに尋ねました。
「ご無礼な話ではありますが、フチヂンが釜の上に塩俵をおいてあったらしく、雨降りが続いたために、それが湿って、汁がチョンチョンと鍋の中へ落ちて、それでいい按配の味になっておいしいのでございます」
と答えました。
「そうか、何よりもうまいものは、フチヂンの言ったとおり塩だったのか。フチヂンを島流しにしたのはわたしが悪かった、今すぐフチヂンを呼び戻せ」
と王様は命令なさいました。
それで、波照間島から呼ぶことになり、王様は
「フチヂンがきょう帰ってくるので、泊も久米村も那覇も、青年たちみんな出て迎えなさい」
と言われました。
そこで、大勢の青年たちは、フチヂンを迎えるために、三艘の舟に乗り、三重城の浜から船を漕ぎました。
早く迎えたところへは王様からほうびを下さるということで、速さが競われました。
しかし、フチヂンは三重城を目の前にして、大波を受けて運悪く海に落ちて亡くなってしまいました。
それから、毎年旧暦五月四日には、フチヂンを迎える意味で鉦や太鼓を打ち鳴らし、舟の速さを競うハーリーが行なわれるようになりました。
(注)●波照間島
八重山竹富町に属し、日本最南端の島。
●三重城
那覇市西にある城砦。
●「伊良皆の民話(1)」
●「喜 名の民話(2)」
●「長 浜の民話(3)」
●「瀬名波の民話(4)」
●「儀 間の民話(5)」
●「宇 座の民話(6)」
●「渡慶次の民話(7)」
●「高志保の民話(8)」
●「波 平の民話(9)」
●「座喜味の民話(10)」
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