【見出し】夢をかける比謝川大橋の開通を祝う 教育・文化・産業経済の発展に ごあいさつ1991年5月27日 読谷村長山内徳信【顔写真】 【写真:開通を祝してテープカット:渡り初めは三世代を伴って:一般の渡り初め:「いずみ保育園」の園児らも開通式を喜んだ:比謝川大橋の命名者石嶺伝夫氏:親子3代饒波さん一家:古南小屋良小マーチング部:全員でかりゆし:PM5:00車両通行開始:写真2】
うりずんの季節を迎え、本日ここに久しく待ち望んでおりました「比謝川大橋」が完成し、その開通式と竣工祝賀会が開催できますことを心から喜び後挨拶を申し上げます。
さて戦前、読谷村と嘉手納を結び、地域の産業、経済の発展に貢献した「回転橋」が、この地にあったのでありますが、鉄の暴風と呼ばれた沖縄戦で破壊されてしまったのであります。
以来、今日まで46年間の歳月が経過いたしました。
戦災で失われた「橋」の再建は、両町村民の永年の夢であり、懸案でありました。
橋を再建することの意義は、地域の産業経済の発展、国道58号の交通渋滞の一部緩和、人的・物的交流の活性化を促し、むらづくりや、まちづくりに資するものと期待し両町村力を合わせて計画し、事業を進めて来たのであります。
ここに比謝川河畔の美しい自然景観とも調和のとれた朱塗りのランガー式の見事な橋が誕生したのであります。
こうして、また一つ戦後処理事業としての橋の再建が出来ましたことを皆様と共に喜ぶものであります。
この橋の実現は、両町村民に大きな夢と希望を与える、夢のかけ橋であり、教育・文化、産業経済の大きな架け橋になりますよう期待しているものであります。
比謝川は自然景観に恵まれ、戦前は沖縄八景にも選ばれたと言う景勝の地であり、由緒のある場所だけに設計にあたりましても、比謝川の自然景観との調和について議論を深め配慮したのであります。
橋の中途で行き交う人々が立ち止まって、静かな美しい流れや、月が川面に映えている美しい姿、川岸の植物群落を眺望し、風情を楽しむ空間としてバルコニーが設けられ、更に、歩道には読谷山花織の絞様がほどこされております。
又、高欄には両町村の花であるハイビスカスとブーゲンビレアのパネルを配し、橋の南北両端の親柱にはスペイン原産の御影石を配置し、その上に地球儀を乗せてあります。そのデザインは、飛行機の爆音・落下傘の降下演習に悩まされている両町村民が、世界の恒久平和を願っていることを表現したものであります。
このように、文化の香りのする美しい橋、人々に親しまれ愛される橋のイメージ創りに、両町村の関係職員の努力と創意工夫、アイディアがこめられた橋であります。
最後になりましたが、この比謝川大橋の完成に至るまでには、多くの方々の御指導と御援助・御協力がありました。
建設省、総合事務局、沖縄県等、関係機関の皆様方には、終始御指導・御援助をいただきました。
更に、地元沿線の関係地主の深い御理解と御協力を賜りました。
設計・施工を担当して下さいました業者の皆様方、橋名公募に御協力を賜りました皆様方、更に、橋名選考委員の皆様、そして名付親の栄誉に輝かれた石嶺伝夫様。
比謝川大橋に魂を込め、安全祈願をして下さいました北村住職さま。
渡り初めに親子孫三代で御協力を賜りました嘉手納町の世名城御一家様、読谷村の饒波一家の皆様。
橋の開通に向けて、信号灯の設置に尽力を賜りました嘉手納警察署の皆様、その他多くの方々の御協力によりまして、めでたく竣工したのであります。
心から敬意を表し、感謝を申し上げ、ご挨拶といたします。
比謝川の自然景観と見事に調和
読谷村と嘉手納町を結ぶ「比謝川大橋」が五月二十七日午後五時開通しました。
その開通に先だち、同日午後二時から開通式、午後三時から竣工祝賀会が盛大に催されました。
開通式は安全祈願の神事の後をうけて、両町村の長、議会議長らがテープカット。読谷、嘉手納の各団体代表らによってくす玉を割り、渡具知の饒波維春さん(90)と嘉手納町屋良の世名城盛仁さん(79)の三代継続、夫婦、計六組が渡り初めを行ない、古堅南小31名、屋良小32名のマーチング部のリズムに乗り、祝賀会場の古堅南小まで行進が行なわれた。
祝賀会では、経過報告、両町村長の挨拶の後、大橋の竣工に尽力された関係者に対し、感謝状及び表彰状を贈呈。橋名当選者の石嶺伝夫氏には記念品が贈られた。
一方、祝賀会余興では両町村から数々の舞踊が披露され、「比謝川大橋」の完成を祝った。
この大橋は長さ93㍍、幅13㍍で読谷山花織を絞様化したカラータイルの歩道はカラフルな装いで、朱塗りのアーチは、比謝川の自然景観と見事に調和している。
比謝川河畔に雄大に架かる大橋。
読谷にまた一つ名所が誕生した。
※写真。