読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1991年8月発行 広報よみたん / 2頁

【見出し】婦人会と村づくり(三層リーダー研修) 【写真:これはチューカー:熱心に講演を聞く三層リーダー】

 情報の氾濫するめまぐるしい時代に、母親として、又、一人の人間として、いかにすれば心豊かにのりきっていけるかを目標に、情報交換をしあいながら、生活に根ざした学習をすることを目的として、「三層リーダー研修会」が五月二四日午後、村中央公民館に二五〇人の婦人リーダーの集うなか開催されました。
 これは、高年・中年・若妻の三層リーダーが一堂に集い、年代を越え共通のテーマ等で勉強し、今後の三層の諸活動に活用できるよう、研修を深めることを趣旨に開催されたもので、この日の研修会には、講師に山内徳信村長を招き、「婦人会と村づくり」を演題として講演が行なわれました。
 講演の開口一番、山内村長は、「これは何と言いますか?」とおもむろに手に持ったチューカー(注口土器)を飾して会場に質問を投げかけ、会場を大きな笑いの渦に巻きこんでの身ぶり、手ぶりのジェスチュアをおり混じえながら、読谷の村づくりを語った。
 ※読谷の村づくり講演から~
 村長というのは読谷山一のセールスマン。花織の背広を着こなす。人生は80年~90年、あそこ(冥土)へは持っていけない。だからいい時にしか着ない。
 以前、楚辺エイサーが東京の銀座まつりに出場した。その時、村は高志保の残波(泡盛)を大いに宣伝してきた。そしてこれ、地域の土でこんなすばらしい土器のチューカーができる。私たちは、読谷の文化を誇りにもって大事にし、また、地域地域の言葉をもっと大切にしたい。東北地方では寒くて口が開けられない。これは体温を保つための方策で、このためズーズー弁になっている。南に下ってくると京都弁~大阪弁と地方独特の言葉があり、九州においては、バッテン、バッテンとチャークルビー。
 これは、言葉のエッセンスで、言葉は文化であり、自信をもってウチナー口も語ろう。自分達の周辺にある物の価値をみなおし、それに誇りをもとう。足元にあるものに価値をみつけよう。
 かつて、お祈りが祭政一致として沖縄の祭ごとは、最初は神人の女性であり、本土も卑弥呼という女王であった。「元始、女性は太陽であった」と伝われるように、もともと、初めは女性だったのである。ところが、中世の時代から男性が祭ごとをするようになってから、戦争→争い→男尊女卑と貴族・豪族が一時代を担うようになった背景があり、その結果、女性は男性によって左右されてきた。
 だからこそ、女性は左右されてはいけませんよ。と問うている。
 婦人会の役員をすることによって、人生は心豊かになる。近年は文明の発達に伴ない、環境が荒れ、ゴミ問題等も深刻である。自然界では動植物が助け合って生きており、湾岸戦争は世界の問題となった。
 これからの高齢化社会に向けて、人間としての心のもちようによって、私もあなたも生涯教育、教養、娯楽を通じて二十一世紀の社会、読谷を築くため、共歩・共立・共生して行きましょう。
 読谷の村づくりは”皆なが健康(命どう宝)”を合言葉に「人間性豊かな環境・文化村」づくり、「人材づくり」をしていく。そして、文化は地域の顔であり、地域の伝統的な持ち味を活かした文化村を婦人も一緒になって築いていきましょう。と講演を締めくくった。

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