読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1991年8月発行 広報よみたん / 6頁

【見出し】読谷村漁協 パヤオ視察 【写真:今にも沈没!?:写真1】広報マンの荒海体験記 出港の朝に しけの大海原へ恐怖の体験 【写真:どうだ!この釣果は:昼食は、やっぱり陸で】

 読谷村漁協(古堅宗達組合長)では、パヤオ(浮き漁礁)や定置網設置、漁船購入補助に対する感謝の意を込め、山内村長と村議会(儀保輝和議長)議員らを招き、パヤオや定置網漁を、実際に現場で見てもらおうと視察を企画した。
 当日は梅雨前線が南下して波浪注意報も出され、海は大しけとなる悪天候となったが、それでも決行。村長を含め参加した約二十人は、初めて大しけを経験。全身ずぶぬれになって帰港。議員らは顔をこわばらせ、口々に「海人の仕事は命がけだ」と話し、また山内村長も「今日の体験で海の男達の仕事は大変と感じた。議会との理解と協力態勢で、漁業発展にお手伝いしたい」と感謝の意を述べた。
 視察団は、儀保議長ら先発隊が粟国沖パヤオで釣り上げた三五キロの大物マグロを含め、シーラなど、二〇匹を組合員の方々がまたたく間に調理。新鮮なサシミに舌鼓をうちながら視察の話題で盛り上がり、その中で儀保議長いわく、
 「逃がした魚は大きかった…」
 今回の視察で、自然(海)の恐さ、同時に海を生活の糧として生きる海人の命をかけた仕事の厳しさ、たくましさ、そして、やさしさを、誰もがこの体験を通して実感として受けとめました。
 私たちの食卓を飾る”海の幸”そこには絶えず海に生きる男達の壮大なドラマがあり、その恵みがあることに、今、気付く。
 参加者は、全員が読谷漁協の皆さんに、貴重な体験をさせて頂いたことに、感謝の気持ちを抱きながら、視察を終えました。

広報マンの荒海体験記

 ”冗談でしょう”
 六月二十一日午前、役場経済振興課のOI君が真面目?な顔で、「先輩!明日の午前二時。読谷漁協の取材をお願いします」と話す。
 私は、取材時間の勘違いだろうと苦笑いし。即座に、
 「午後二時の取材でしょう」と、
やんわりと問い返す。
 ところが、OI君、怒ったような顔つきになって………
「いいえ、午前二時です」と語気を強め、重ねて強調する。
「午前二時?。午前二時の深夜にどういう理由の取材がある?」
と、また問い返す。
 OI君いわく「読谷漁協から”パヤオ”視察に議会議員、役場部課長等が招待されているので便乗し、取材してほしい」と言う。
 そのことを聞いて、果たと困った。小生、泳ぎには多少の覚えはあるものの、乗船ともなれば、全然、全く自信がない。自慢じゃないが小生、遊具のブランコに揺られるだけでもすぐに気分が悪くなり酔う体質。まして船ともなると船酔いが嫌がうえにも気になる。
しかし、取材ともなれば、広報マンを職務とする以上、無下に断る理由もなく、さあ困った。
 OI君に訪ねる。
 「他に方法はなかったのか?」
 「実は……別に三コースの視察計画が準備されていて、自由に視察コースを選択してもいい」との返事。OI君も人が悪い?。
 「だったら、そのコースのどれかに同行取材をさせてヨ。船には自信はないんだから」と、逆にお願いした次第。
 視察は、六月二十二日深夜を含め、四つのコースが企画されていた。
(一)、午前二時出港
  ●粟国沖パヤオ調査(光丸42t、新里光雄船長)
(二)、午前八時出港
  ●定置網調査(まさ丸・比嘉弘政船長)
(三)、午前九時三〇分出港
  ●粟国沖パヤオ調査(恒進丸47t・比嘉恒光船長)
(四)、午前十一時出港
  ●残波ゾネ・パヤォ調査。(栄丸47t・平田盛栄船長)
   かくして、私は体面上(三)のコースを選択しなければならなかった。
(真の気持ちは口の最短コースを、希望なのだが……)

  出港の朝に
 六月二十二日午前七時、寝床を起きあがり、まだ夢ごこちのまま、寝むたい目をさすりながら、おもむろにカーテンを開く……
「アイヤーナーッデージナトーン」一辺に目が覚めた。空はどんよりと曇り、昨日までの晴天が全く嘘のよう。おまけに風も強い。急ぎ階下に駆けおり、新聞をめくる。普段はめったに気にもとめない天気予報の欄に目をとおす。「トウナーッユクデージナタン」。
 胸中が急に重くなる。と同時に心の片隅に「チューや週休ルヤルムン取材ヤサンテンシマノーアランガヤーッ」・「ヤシが仕事ルヤルムン行力ネーナラン」との自問自答を繰り返しながら、心の葛藤がしばしの間続く。
 意を決し、行くことにした。
 「行ってきま~す」と、いつもよりわざと元気な声を張り上げ、玄関を出る。家内が心配そうに訪ねる。
 「今日、取材に行くの?」と。
「行くよ!」。「大丈夫ねーッ」
「ウヌアタイチャーンネーンサッ」と、心にもない、海のことを知りもしないことをワカタンフーナーして応え車に飛び乗る。出勤途中、車内ラジオが不安な気持ちに追いうちをかけるような天気予報が流れる。
 『今日は……南西の風強く……
海上は三m~五mで波高く……
雷雨をともなう……』
「トオッワチャクトーッユヌムンアンルナイルイ」と、ますます気持は高ぶってくる。
 ”天気予報は外れることが多い”と自分に言い聞かせながら、出港までの時間、業務に専念する。
 途中、豪雨が窓を打ち、外の木々が激しく語れ動く。心なしか気持ちが軽くなる「今日は、このような悪天候だし、きっと中止だ」と自己判断をしながらも、一応漁協に向かった。

  しけの大海原へ恐怖の体験
 考えは甘かった。視察は強行?され、何隻かの船は時間を繰り上げ、既に出港する途中だったのである。乗船(取材)するか、しまいか考える余裕もなく、最後の一隻にアワティハーティ、私は飛び乗っていた。(これぞ広報魂か?)
 とにもかくにも、またまたアワティハーティして救命胴衣を着装。船尾に腰かけるや否や、TH経済振興課長の指導の声が飛ぶ。
 「カメラはビニールをかぶせたほうがいいよ」と、言うか言い終らないうちに船は既に出港。
 港外に出た途端、大波をまともにかぶり、あわてふためいて船内に逃げこむ。
 しけの中、船は大きく上に下に謡れ、左右、斜めに激しくローリングする。その度に船内に身体を叩きつけられ、私達は必死に船内にしがみつく。全く生きた心地がしないとはこのことなのかと妙なところで感心する。が、今それどころではない。胸中には「船が転覆しないだろうか」「無事、生きて帰れるだろうか」という悪い考えばかりが先にたつ。
「ナァー今日ヤ一大事ナトーン」
と口には出さぬまでも、心中穏やかではない。
 港を出航して、ものの5分もしないうちに経済振興課の若い職員YY君が早くもダウン。次いで色黒で有名?なYJ係長。顔面蒼白(色ヌガー)になり、普段の明朗快発な人柄とはおぼつかない程に終始無言。必死に何かを我慢している様子。
 かという私。よそ様のこと言える立場にない。自分も色ヌガーしている事は目に見えている。チューバームニーッしているつもりが、見事TH課長の「もう少しリラックスしなさい」とのやさしいお言葉。ハッとなって我身を冷静に見つめてみる。
 何とぶざまな格好!。座して右手は扉に、左手は窓枠に、はたまた両足は大きく開脚し、首をすくめ、潭身の力をこめ必死に抵抗を試みている。全身は汗だらけ、額には油汗をにじませている姿は、まるで亀さんがウッケールしている姿そのもの。
 それにもまして、比嘉恒光船長、比嘉直操舵士の悠然としていること。比嘉船長にいたっては船首から船室に移動してきて「大丈夫か?アビョーッ クマーアンシ暑サテール」と声をかけ、「ナー少しルヤンドーッ」と私達の不安な心を察っして気配りを見せ、「二ーブイスルムン 少しニントーカヒー」と言って仮眠をきめこむ。
 操舵士は、荒れ狂う波に注意を集中し、面舵・取舵、船のスピードの微調整を繰り返しながらも、煙草をおいしそうにくゆらす。
 その姿を見て「ああ大丈分なんだなぁー」と少し安心感を抱く。
 ところが、安心感を抱いたのも束の間、今度は雷をともなう激しい豪雨。視界はゼロ、空と海の色が一色となって一面灰色の世界。船のけたたましいエンジン音と波、風雨、雷の音だけが鳴り響く。
「アイエーッチャースガヤー」
どうにも出来る訳がない。逃げようにも逃げられない。一歩足を踏み出せば、船外は大しけの荒海である「アイエーナー」。
人間、身勝ってなもので、この時ほど思ったことはない「OH MY GOD!」
雷雨は二〇分は降ったろうか?
恐怖のあまり、時間を計る術もない。こみあげてくるものを一生懸命にこらえる。そうこうしているうちに、操舵士の「つきましたよ」との声に、急ぎカメラを取り出し甲板に出る。ところが遂に船酔いが頂点に達し爆発。比嘉船長がやさしい顔でニコッと船首から笑んだ。申し訳ない気分でカメラを構える。しかし、激しく語れ動く船体で全く焦点が絞れない。任務は果たさねばと心はあせる。見かねたTH課長が私の腰のバンドを掴み、私の身体を固定する。無我無中でシャッターを押し続けた。  TH課長の手助けもあって、取材が出来た安堵と、喜びで先程までの船酔いが、気がついてみると嘘のようになくなり、気分はスカッとしていた。とは言えないまでも、何か心に満たされるものがあった。
目標地点のパヤオを”見た!”として、船はパヤオを旋回して帰路の途につく。陸地は全く見えない。我々、視察員を乗せた船団は、スピードを競うかのように港に向かった。やっと漁協の湾内に入りかけた頃、今まで全く無言だったYJ係長の顔に笑みがこぼれ、いみじくも言った。
「アー 笑イルトキン アテーサヤー」と……

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