読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1991年10月発行 広報よみたん / 4頁

【見出し】読谷山風土記(十) クラガ-(暗井) 渡久山朝章 【写真:1】

 昔、読谷間切楚辺村の屋嘉という家に、チラーという美しい娘がいて赤犬を飼い、大変かわいがっていました。
 ある年、長い長い日照りが続き、村中の井戸は梱れはてて、人々は非常に苦しんでいました。
 そのようなある日のこと、その赤犬が全身ずぶ濡れになって帰ってきたのです。
 愛犬はチラーに向かって吠えたて、彼女の着物の裾をくわえて引っ張ります。
 このような、早越に犬がずぶ濡れになってくるとは不思議だと思ったチラーは、犬の導くままについて行きますと、村はずれの洞窟にたどりつきました。犬は中に走り込んで行ったかと思うと再びびしょ濡れで戻ってきました。
 中にはきっと水があるに違いないと思ったチラーは、急いで村へととって返し、みんなにそのことを告げました。村人たちが手に手に松明をかざして洞穴を下りてみますと、底は清らかな水をたたえていました。こうしてこの井戸は人々を早魅から救ったのです。
 以上がクラガー発見の伝説ですが、これがまたアカインコ伝説の発端にもなります。ということは、屋嘉のチラーこそアカインコのお母さんだったからです。
 クラガーは現在、トリーステイションのフェンス内にあって自由に見にいくことはできません。写真はクラガー入口周辺の様子ですが、戦争でずいぶん破壊されたようです。
 クラガーについて東恩納寛惇はその著『南島風土記』で次のように述べています。
 「(暗川は)楚辺字に在り、地下数十尺の岩窟の内に清泉湧出す。
洞窟細長据して纔に行く可く、暗川の名これによって起こる。村女木桶を抱きて水をとるもの朝夕絶えず、現今洞口を開鑿して往来に便じたりと云ふ」
 この文をやさしく言うと「(暗川は)字楚辺にあって地下数十尺の岩穴の中に清らかな泉が湧き出ています。洞穴の入口は細長くてわずかにしゃがんで行くことができ、暗川の名はこういうことで起こりました。村の女たちが木桶を抱いて水を汲むのは朝夕絶えません。現在では入り口を削り開いて行き来に便利なようにしてあります」
というふうな意味になるでしょう。
 田山花袋編『琉球名勝地誌』によりますと「読谷山間切楚辺村に洞穴あり、潤さ凡そ十間、清泉その中より湧出す、方各々二間、深さ五六丈に及ぶ、名ずけて楚辺の暗川といふ。同村三百余戸の飲料に仰ぐものなり」となっています。潤さが十八メートルとは奥行の誤りでしょうか。水面面積が三・六平方メートルで深さが十五~十八メートルとはオーバーな表現かとおもわれます。
 ところで、沖縄方言では、井戸を力ーと言い、川のことを力ーラと言います。では暗川と書いたらクラガーラにはならないでしょうか。ですから私は「暗井」と書きました。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。