【見出し】読村補助飛行場の返還を求めて! 激励会を開催! 【写真:2】大田知事来村! 【写真:大田知事への説明:出発の壮行会(空港):ニューヨークタイムズ本社:ワシントン在、村出身者との交流会:ハワイ在読谷クラブの皆さんと】基地問題訪米要請-報告- 1991年8月6日読谷村長山内徳信 読谷村議会議長儀保輝和殿 【写真:リンカーン記念堂前にて】
過密過重な沖縄の基地の実態を米政府や軍当局、アメリカの国民世論に如何にして訴え、理解せしめるかを訪米直訴の主眼として、基地問題の早期解決に向け七月十九日午前、訪米直訴団一行が那覇空港を飛びたった。
訪米直訴を前に村では「読谷補助飛行場の早期返還を求めて」と題した要請文書(和英ブックレット六九ページ)を作成。この要請文の英文翻訳、校正には村内在住のラブ・オーシュリ氏の全面協力のもとに作成されました。
激励会を開催!
読谷補助飛行場におけるパラシュート演習場の即時撤去を求めるため大田知事と訪米する山内徳信村長、知花治雄副議長、随行高山朝慎を励ます「読谷村訪米直訴団激励集会」(読谷飛行場戦後処理及び転用計画実現を求める読谷村実行委員会主催)が七月十五日夕、村総合福祉センターで村民二百五十人余が参加して開催されました。
伊波栄徳県議会議員の開会あいさつの後、集会では儀保輝和村議会議長、名嘉真朝徳区長会長、宜保サカエ婦人会長、比嘉憲一読谷飛行場所有権回復地主会長、大城勝哲商工会会長らが次々と激励のあいさつを述べ、これに応え山内村長、知花副議長の両氏は「沖縄県民の意志、議会の意志、村民の意志に責任の重大さをひしひしと感じる。アメリカは民主主義、デモクラシーが生きている国。日本政府は喜ばないだろうが、基地の重圧を訴え、アメリカの世論に理解を得られると期得している。県内世論も雰囲気が盛り上がっており一日も早い解決を求めてくる」と決意表明を行ないました。
その後、高宮城実青年会会長によって声高らかに『集会アピール文』が朗読され、参加者全員で「読谷飛行場の早期返還」を要求し、その実現のためねばり強く今後も闘いぬくことを宣言。最後は、神谷正賢老人会会長のガンバロー三唱で激励集会を閉じました。
大田知事来村!
こうした中、翌日の十六日午後大田県知事は訪米を目前にして県内基地の実態視察のため本村を訪れ、読谷飛行場の問題解決について山内村長から切実な要望、説明を受けました。
説明のなかで山内村長は、読谷飛行場でのパラシュート演習・事故の概要、読谷飛行場転用基本計画の策定状況を説明。更に、基地被害の実態にふれ「パラシュート降下訓練は村の真ん中で実施されこれまでに場外落下で村民の尊い生命が犠牲となり、村づくりにも足枷になっている。日米合同委員会で十一年前に返還が合意されているのでともにアメリカ政府へ訴え、解決を図りたい」と話しました。
山内村長の説明を受けた後、大田知事は共同記者会見に望み「基地内はだいぶ前と様変わりしているようだ。現地司令官は住民被害を理解し、改善している姿勢はみせてはいる。しかし、軍事目的からはずれているところは返還の態度を見せながらも、安保条約を盾に沖縄基地の長期使用(占有)の意向の印象をうける。このようなことでは県民、村民の人間らしい生活、日常生活を維持できない。地元の強い要求を繰り返し訴えていきたい」と表明。直訴団の副団長である山内村長も「読谷補助飛行場の一本に絞り、返還の実現に向けてアメリカ政府に訴えていきたい」と決意を述べました。
基地問題訪米要請
-報 告
本日の臨時議会にあたり、基地問題訪米要請の一端をご報告申し上げます。
今回の沖縄基地問題訪米要請団は、大田知事を先頭に県、市町村(沖縄市、北谷町、金武町、読谷村)で構成され、マスコミを含めて二十八名のメンバーでありました。
七月十九日に沖縄を出発し、ニューヨーク、ワシントン、ロスアンゼルス、ハワイを訪問し、十七日間にわたる訪米日程を無事終了致しました。
今回の訪米の目的は、いうまでもなく在日米軍専用基地の七十五%が押しつけられ、過密過重な沖縄県の米軍基地をめぐる諸問題を訴え、解決に向けての状況づくりとその前進を図ることでありました。
読谷村は今回の訪米計画を重要視しました。それは、村の真ん中に戦後四十六年にわたって米軍の演習場として使用され、多くの事故を起こしてきた読谷補助飛行場の問題解決を更に一歩前進させることを目的としたからであります。読谷飛行場の問題解決は三万村民の一致した意思であり、そのことを訴えるため執行部から村長(随行・高山朝慎)、議会を代表して知花治雄副議長が要請団となりました。
要請先は国務省、国防総省、上下両院関係議員、海兵隊総司令部、ハワイ在太平洋統合軍司令部等でありましたが、その他アメリカのマスコミを通して、沖縄の基地の実態をアメリカ国民に訴え、知らすことも重要な要請行動の一つでありました。
要請の相手方は好意的に対応してくれました。アメリカのアジアにおける戦略体制の見直しの時期に訪米し、米政府・議会・軍関係者に直訴できたことは、理解と関心を深める好機でありましたし、全体的にみて所期の目的は達成できたと考えております。要するに、これからの基地問題解決の第一歩が踏み出されたことになると思っております。
ハワイの太平洋統合軍司令部によりますと、一九九五年までには日本に存在する米軍基地の二十五%を削減する計画のようであり、今後在沖米軍基地にも何等かの変化があるものとみております。また、先の日米合同委員会で合意された基地の返還についても米側からもその実行を促すとのことでありました。
読谷補助飛行場におけるパラシュートの降下演習場の返還要求に対し、同司令部のWONG(ウォン)准将は「検討中と聞いており問題解決を望んでいる」と述べ、更に、「問題解決を軌道に乗せていきたい」と言明しております。読谷村としては、この発言に深い関心を持って見守りつつ、今後日本政府に対し従来にも増して強く要請をしていくことが一層大切であると認識した次第であります。
今回の訪米によって米国政府の議会、軍部、マスコミ等に対して沖縄の基地問題の実態がいかに過密過重であるかを知らしめた意義は大きいと思います。即ち、知らすことは理解させること、理解は今後の問題解決につながるものであるとの認識を深めたのであります。したがって、沖縄側から今後とも機会あるたびごとに訴えることが問題解決に大きくつながるものであります。
今回の訪米については、議会をはじめ村民の深いご理解のもとに実現できたのでありました。米政府、軍当局、その他マスコミの皆さんに直接訴えることができ、また、各地で県人会が歓迎をし、激励と支持をして下さいましたことに対し心から感謝を申し上げ、簡単ではありますが報告といたします。
一九九一年八月六日
読谷村長 山内徳信
読谷村議会
議長 儀 保 輝 和 殿