交流から十年。常夏の島沖縄・読谷村と厳寒の北海道・池田町との児童交流がはじまってから早や十年の歳月が流れました。
「南北の子どもたちが相互交流を通して友情と連帯の精神を養い、夢と希望、自信と勇気ある青少年の育成を図る」ことを目的に昭和五十六年から始まった池田町児童・生徒との交流事業。これまでの間に交流をした児童生徒も、今や高校、大学、社会人となってそれぞれの職場、地域で頑張っている。
このような交流が続く中、八月三日、今年も池田町から児童交流団(桜井金光団長)十八人が来村しました。
十周年を記念して、村では五日、村総合福祉センターにおいて各年の交流団も参加しての『十周年記念交流会』を開催し、池田町側を迎えました。歓迎のあいさつで山内徳信村長は「終生変わらぬ友情を培っていきましょう」と述べ、池田町の桜井団長も「今年も友情の輪を南の国から北の国へ持ち帰ります」と語り、その後、会場では懇親を深めると共に、ステージでは双方の子供たちによる芸能を披露するなどして賑わいました。
池田町の児童・生徒らは、県内・村内視察を始め、村内家庭への民泊、村営残波ビーチでの海水浴などで真夏の沖縄を実体験。子供たちは異口同音に「沖縄は暑い」と言いながらも、全員が元気に交流・親善を深め、友情を育んでいました。
お別れ会は七日の晩に行なわれ、民泊の父母らも一緒のバーベキューに舌鼓をうちながら、各々が記念撮影や短いながらも、楽しい思い出を語り合う様子が見られ、そこには、池田・読谷の深い交流の絆が脈々と流れ続けていることが伺えた。
お別れにあたって山内村長は、「いい思い出、いい体験を自分一人の財産にするのではなく、クラスメートやお友達に伝えて下さい」と激励。更に、「人生は、その瞬間々を楽しく」と話し、村長自らが北の歌”知床旅情”を声高らかに歌えば、岳原宜正教育長も「十年を数える交流は今だかって県内でもない。池田・読谷の交流は教育の立場からもすばらしい」と称賛。交流事業への感謝をこめて教育長は南の歌”芭蕉布”を歌い、ソフトな喉を披露して大きな拍手をうけていました。
また、桜井団長は「暖かいもてなしありがとう。池田へ来るときは万全な体制で皆さんを迎えたい」と感謝の言葉を述べられた。
その後は、各家族(民泊の父母と民泊した池田っ子)からそれぞれに想い出の報告が行なわれ、民泊からは「当初は不安と期待のなかで民泊をしてきたが、池田の子供たちは皆な礼儀正しく、のびのびと育っている。すぐに家族とも打ち解けた。とてもおりこうさんで息子・娘が増えた感じでとても楽しかった。今ではかけがえのない財産を得た気持ちであり、すばらしい体験をさせてもらったことに関係者の皆さん、池田町の皆さんに感謝します」と応え、池田っ子は「海水浴で日焼けして痛いけどキレイな海で泳げて嬉しかった。民泊には家族のように接してもらい、やさしくして色々なことを教えて頂きとても楽しかった。読谷村でつくった想い出を池田に帰ってから皆に聞かせたい。お金をためてまたきます」と話しました。民泊と海水浴は池田っ子にとってすばらしい体験、良き想い出になったことでしょう。
民泊のエピソードとして池田っ子の話に『沖縄の子供は赤ちゃんの時から色が黒いのか?』と『不思議に思ったのは、沖縄の人は男女とも毛深い』は、何ともユーモアがあって実におもしろいではありませんか。
こうした和やかな雰囲気の中、池田町・読谷村児童交流は、来年の冬の北海道での再会を確認し合いつつ、お別れ会の最後は全員が立ち上がり、カチャシーを踊って締めくくられました。