読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1992年5月発行 広報よみたん / 3頁

【見出し】沖縄タイムス芸術選賞(古典音楽部門・三味線)大賞を受賞安田慶善氏【顔写真:練場にて弟子達を前に】安田氏のプロフィル

 年間を通して優れた芸術活動や芸術文化の向上に業績のあった個人、団体を顕彰する「第二十六回沖縄タイムス芸術選賞」で、本村の渡慶次区在、安田慶善氏(68歳)が古典音楽部門・三味線で誉れ高い”大賞”を受賞なされました。
 この大賞の受賞は、村民への励みになると同時に、芸術・文化活動に関わる後輩らの大きな目標となるものでしょう。
 村民みんなが大きな拍手で称えたいと思います。
 安田氏は終戦直後、避難生活をしていた石川市で三味線を始めました。氏が二十二歳という若さの時である。以来、四十六年余にもおよび、一途なまでに三味線を愛し続け、昭和三十四年・野村流古典音楽教師免許を授与され「古典音楽安田研究所」を開設する一方で、昭和四十六年には師範免許を享受。
数々の芸能祭や独唱発表全等に出演。また、沖縄を代表しての芸能団海外公演(ブラジル、アメリカやハワイ、台北など)や県外の関東、関西支部公演にも参加。野村流古典音楽保存会の副会長、中部支部長、タイムス芸術選賞選考委員などを歴任して活躍する傍ら、後輩の育成に情熱を傾注。現在、最高齢者八十歳の弟子まで六十人余が師事。多くの弟子にも賞の獲得者を始め、師範二名、教師七名を輩出しています。
 今回の受賞に安田氏は、「賞のことなど気にもとめなかった。賞を頂いたことで村民や弟子達が自分をあやかることになれば嬉しい事です。賞を貰っても後輩を育成することが出来なければ何の値打ちもない。私は、弟子に教えるにしても自分の体験を生かし古典音楽の難しさ、奥の深さを説いています。自分もまだまだ未熟、一つびとつ勉強しながら難しさを克服する喜びが今の自分をつくっている」と述べ、また、苦しかったこと楽しかったことについては「人、一人一様、弟子が覚えきれない時は辛く、弟子から”チャーヌラーリーッ”何度も辞めようかと思った。しかし、弟子が覚えてくれた時の喜びは何にも言いがたく、弟子一人々にあった教授を心掛けている」と古典音楽の奥の深さ、魅力を謙虚に語り、更に「家族の支えがなければ今の自分はなかったでしょう」と、理解ある家族と内助の功に感謝の気持ちを忘れませんでした。
 また、大賞に輝いた安田氏を弟子たちは「師匠はたまには厳しい。だが、音楽を非常に細かく分析して説き、弟子に解りやすく納得いくまで教えてくれる。ほがらかで恐さがなく、何事にも笑って受け流してくれる。師匠の受賞は、弟子にとって大きな励みになります」と喜び、安田氏の人柄と受賞を称え、そして、妻のトヨさんは「よく頑張ったと思います。主人は音楽のことになると何をさしおいても飛び出して行きました。そんな主人にワジワジーする時もありましたが、本当にご苦労さんと言ってあげたい」と応え、深い理解を示しました。
 安田氏の心情は『音楽は家族も一緒』という考え方のもと、発表会「ファミリーの集い」を開催するなどして門下生の全家族を含めた交流も行っているという。それは、古典音楽で結ばれた固い家族の絆と言ってもよいでしょう。
 安田ご夫妻のそもそもの馴れ初めは妻のトヨさんも琴を習い、音楽が取り持つ緑で結婚したという。以来、喜怒哀楽を共にし、音楽の道一筋の人生を仲睦まじく歩んでこられた。夫婦間には一男四女。現在、夫婦と長男の三人家族。

安田氏のプロフィル

 輝かしい芸歴を持つ氏のスケジュウールは毎日が多忙である。午後二時から夜十時過ぎまで弟子たちが練場(安田研究所)を訪れ、古典音楽を享受している。

※表。

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