読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1992年5月発行 広報よみたん / 10頁

【見出し】感動をありがとう読谷高校球児 野球史に残る健闘に大きな拍手 甲子園初出場にして、大阪兵庫県人会の大応援団が読高球児の健闘に声援が送られた 【写真:出発前の壮行会:甲子園には笑顔が弾け、指笛が飛び交った】読谷高校へ次の通りカンパがありました 【写真:トリィ従業員・玉城清子代表より:名嘉清次社長より】お礼状

 全員野球をモットーに「第六十四回選抜高校野球大会」に出場した読谷高校は、宮城県の名門・仙台育英高校に善戦及ばず18-11の点差で破れ、甲子園での初戦を飾ることは出来ませんでした。
 三月二十一日午前、出発前の壮行会には大勢の関係者が読谷高校を訪れ激励。太田義昭校長は、「甲子園では基本に忠実な全員野球で望み、平常心で練習の成果を発揮し、皆の期待に応えるよう頑張ります」と挨拶。また、島袋夏次主将は「どこのチームと当たっても思い切り甲子園を楽しんできます」と力強く応え、県民及び三万村民の夢と期待を担って読高球児は甲子園に飛びたっていきました。
 読谷高校の試合は雨で二日間も順延となり三十日に対戦。試合日には大阪、兵庫県人会を始め、本村からも山内徳信村長、儀保輝和議会議長、岳原宜正教育長、父母などの大応援団も一塁側アルプススタンドに陣取り観戦。試合は読谷高校が仙台育英高に序盤から猛攻を加え11点をとりながらも四回以降は無得点に押さえられ、七回には遂に逆転を許してしまい、惜しくも念願の読谷高校の校歌を聞くことは出米ませんでした。
 しかしながら、二十三回の甲子園出場経歴をもつ名門校を対戦相手にして、両チーム合わせたヒット数、三十四本は新記録、読谷が奪ったト十一点の得点は沖縄の球史に永久に残ることでしょう。
 読谷球児の健闘ぶりは、甲子園初出場にして村民を始め県民にさわやかな印象を与えてくれました。
 読谷高校の選手諸君、村民に夢を与え、良く頑張ってくれました。
 ありがとう。
 ”夢”を再び、夏の甲子園に向けて更に邁進してほしい。
 ガンバレ!読谷高校球児!

※野球部を甲子園に送る会(大湾稔会長)と太田校長は、甲子園出場における村内外からの物心両面にわたる支援にお礼状が寄せられました。

読谷高校へ次の通りカンパがありました。ありがとうございました。
▼三月十九日
●トリィステーション施設課従業員一同より十一万円。
●ミサワホーム(十万円)、サザンプレス(一万二千円)

お礼状
 謹啓、時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
貴殿におかれましては、「沖縄県立読谷高等学校野球部を甲子園に送る会」の趣旨にご賛同いただき、物心両面にわたってご芳志をお寄せ下さいまして厚くお礼を申し上げます。
 試合については、報道等を通じてご承知のとおり3月30日、大会3日目の第一試合、宮城県代表の仙台育英高校との対戦で打撃戦の末、18対11のスコアで敗退と残念な結果になりました。
 しかし球児達は、夢の甲f園で彼らのテーマである全員野球、気迫前面をもって9回の終了まで力の限りに頑張ってくれました。これも皆様方のご理解とご協力の賜と衷心より感謝申し上げます。今、甲子園の大舞台で一段と大きくなった球児達は新たな目標に向かって動き始めました。
 略儀ながら、書状をもってお礼の言葉に代えさせていただきます。
                               敬 具

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