仏壇にまつってある位牌というのはどのようにしてできたかというお話で、これは支那の国でのことです。
あるところにひとり息子がいました。父親はすでにこの世を去り、母親ひとりで育てていたのですがその息子はとても乱暴者で、おかあさんをいじめて、いつも苦労ばかりかけていました。
食事の仕度が遅くなると、すぐおかあさんをぶつし、ごはんがまずいといってはお碗を投げつけたりして、とても手を焼いていました。
ある日のことです。息子は、
「かあさん!おれは山へ薪を取りに行くので、昼めしは山へ持ってきてくれないか」
と言って、あたふたと出かけて行きました。
おかあさんは、さっそく弁当を作る準備にとりかかろうとしていたところへ、お客さんがみえて、ずいぶんと話しこんでしまいました。気がついた頃には、もうとっくにおひるの時間は過ぎていました。
「あゝまた大変なことになる。急いで作って持っていかなければ」
と、あわてて弁当を作りました。
一方、息子は山で、今来るか、今来るかと、かあさんを待ちかねていました。いつまでたっても来ないものだから、おなかもすいている上に、よけい怒って、木の下で寝そべっていました。
空を見上げていると、カラスの子が虫をくわえてきては、おかあさんカラスに与えて、それを何辺もくり返していました。なにやら木の上にカラスの巣があるようです。「珍しいことだ」と、まずは木に登ってみました。巣の中には、子を産んだばかりのおかあさんカラスがいました。
「なるほど、そうだったのか。おかあさんが困っているときは、カラスでさえこうして親の世話をしている。おれがかあさんに、今までしてきたことはまちがっていた」
と、深く反省をしました。
カラスは子どもを産むと、全部毛が抜けて飛べなくなるそうです。子どもはすぐに毛がはえて飛ぶことができるので、親の毛がはえるまでは、子どもたちがエサを拾ってきてあげるそうです。
息子はカラスのやっていることにとても感動し、自分が恥ずかしくなりました。これからはすこしでもかあさんを楽にさせてあげようと、ここへ向かっているはずのかあさんを迎えに行こうと思いました。
ところで、おかあさんは、だいぶ遅くなったことを心配して、山道を急いでいました。険しい道を息をきらして登り、とても急いでいたために、足を踏みはずして、運悪く川へ落っこちてしまいました。 そのあと、ようやく川のところまで来た息子は、そこにかあさんのふろしきに包まれた弁当が落ちているのを見つけました。そこら辺にでもいるのかなと。「かあ一さん、かあ一さん」と呼んでも、どこにもかあさんの姿は見あたりません。風に揺れる木の葉の音と、鳥や虫の鳴き声が、山の奥から寂しく聞こえてくるだけです。
「もしかしたら、かあさんは川へ落ちてしまったのだろうか。なんということを……。おれが悪かった。かあさん」と、泣き叫びました。そして、毎日、山の中を捜し続けました。
一週間が過ぎてもかあさんを見つけることはできませんでした。息子は疲れ果てて、川のほとりでぼんやりたたずんでいると、川に板切れが浮き沈みしていました。
「そうだ。これを持ち帰って、かあさんの冥福を祈ろう」と、その板切れを仏壇へあげました。
息子はその後、嫁をもらい、いっしょうけんめい働きました。亡くなったかあさんのことを思い、朝も晩も、一日もかかさずお茶や食べ物を仏壇に供えました。畑から帰ってきても、用事から帰っても、手を合わしているものだから、嫁は、「この人は、おかあさんが亡くなって、すこし頭がおかしくなったんではないか」と、思っていました。
ある日、嫁が縫い物をしていると、突然、針が位牌の方へ飛んでいきました。すると、この位牌からどんどん血が流れてきて、どんなに嫁が手を合わせてもいっこうに止まりませんでした。
そうしているうちに、息子は帰ってきて、このざまを見て大変びっくりしました。
「これはいったいどうしたことだ」
と嫁に聞くと、
「急に針が飛んでいって、位牌にあたり、このとおりです」
と、言いました。
「あゝそうか」
と、息子はすぐに仏壇の前にひざまづいて手を合わせると、今まで流れていた血がピタと止まりました。
そのときから、嫁も位牌を信じるようになり、大事に拝むようになったということです。