【見出し】ヤチムンの里に二世誕生!読谷山焼「北窯」オープン=新たな制作の拠点に=【「焼物を一緒にやってみないか?」と村内から情熱ある若者を募集中と話す4人。やってみたい方は直接北窯へ:県内最大の登り窯に火をともす】ヤチムンを生活の中へ 土と火のドラマ 夢を実現(小橋川清弘)
ヤチムンを
生活の中へ
米軍の不発弾処理場の撤去闘争の後、その跡地に文化村づくりの拠点の一つとしてヤチムンの里(読谷山焼)が完成し、「平和の煙」が立ち登ったのは一九八○年七月のことであった。あれから十二年の歳月が過ぎ、若者たちの息吹と共に新たな窯場が誕生した。
去る五月二十七日、午後十時頃宮城正享、松田米司、松田共司、與那原正守の四氏の手作りの共同登り窯に火が入った。彼らにとっての、この記念すべき日は、自らの希望と夢を載せ東シナ海に船出したあの「泰期」と同じように新しい時代の幕開けともなる。「私たちは『陶芸家』ではなく、『陶工』なのだ。」と言い、「日常の生活の中で用いる食器や湯呑、注口(チューカー)作りを中心に、とにかく村民の皆さんに使ってもらえる物を作りたい。」と語る。「沖縄本来のヤチムンを生活の中へ。」彼らの考える文化村読谷のイメージなのだ。そうした新しい時代の創造がここに始まる。
土と火のドラマ
この日、私はそこに居た。
梅雨の晴れ間、すがすがしい風と夕陽に赤瓦が映え、竹の葉がサラサラと揺れ、雲が静かに風に流される、そんな普通の一日のおわりの頃だった。十三連房の登り窯、その一つ一つの房に若き陶工たちの夢と希望、情熱の結晶が運び込まれる。「やっと臨月を迎えたよ。」とつぶやく。新しい窯から土と火のおりなすドラマがこれから始まる。「出来上り?」「それは神様だけが知っている。」そんな会話が聞こえる。初めての火入れは、期待と不安が入り交じる。結局彼らが準備したものは、十一房に収まった。
火入れの前にもう一仕事ある。それは「サヤ」と呼ばれる直径三十センチ、高さ十八センチほどの円筒形の焼物を入れる作業だ。これは直接作品に火が当たらないように、あるいは火をコントロールするために積み上げるのだと言う。
次第に夕闇が迫ってきた。裸電球のオレンジ色の明りが登り窯の傾斜を一層際立たせ、闇に浮かんだ。
夢を実現
独立して窯を持つ。若き陶工たちにとっては夢であった。そして実現した。しかしこれまでにかなりの歳月を要した。松田米司、共司兄弟はこの道すでに十八年である。宮城正享さんは十年、輿那原正守さんは五年間、大嶺実清、山田真萬の各師のもとでそれぞれ修行した。彼らが今日の日を迎えることができた裏には、師をはじめ多くの人々の指導と支援があった。心から感謝していると語ってくれた。私は無事に生まれてくれることを祈り窯をあとにした。
(小橋川 清弘)