読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1992年10月発行 広報よみたん / 6頁

【見出し】よみたんの民話民話集より再話 天人女房 【写真:天人女房にまつわる森川(宜野湾市)】 

 むかし、謝名というところに奥間という人がいました。とても貧乏だったので、だれも相手にしてくれず、村はずれの川の付近にひとりで住んでいました。
 ある日、畑仕事を終え、手足を洗うため川辺まで行きました。すると、今まで見たこともない美しい女が水浴びをしていて、大きな松の木には、これまた目をみはるようなきれいな着物がかけられていました。
 「あゝなんときれいな着物だろう」
 奥間は気づかれないようにそっと着物を取ると、自分の家へ持って行き、倉の中に隠しました。 女は水浴びを終えて、着物を着けようとすると、木にかけたはずの着物がありません。
 「どうしょう。これがないと私は天に上ることはできない」
と、かがみこんで泣きました。
 そこへ奥間がやってきて、
「どうした。なぜあなたは泣いているのですか」
「はい、実は、私は天から降りてきた者ですけど、水浴びをしている間に飛衣が盗まれてしまいました。もう天に上っていくことができず、こうして思案にくれているのです」
「そうですが。もしかすると、その辺にいる草刈や一がどこかに隠したのかもしれない。わたしの家は汚ないところだけど、一晩泊まってはどうですか」
「ありがたいことです。お願いします」
 こうして、奥間は、女に自分の着物を着せてあげると、家へ連れて行きました。
 一晩、二晩と泊まっているうちに二人は夫婦になり、女の子と男の子が生まれ、女の子はオツル、男の子はマモルと名付けられました。
 それから月日は流れ、子どもたちも大きくなりましたが、母親はいつも飛衣のことを気にかけていました。自分の故郷のことを思い、空を見上げては涙を流していました。
 ある日、オツルがマモルをおぶって子守をしていました。
  泣くなよしよし
  アンマー飛衣は
  ムチマタヤチマタ
  倉の下にあるよ
  泣くなよしよし
と、歌っていました。
 それを聞いた母親は「そうだったのか」と、奥間が畑から帰ってこないうちに、急いで飛衣を探しました。
 そして、飛衣を着てオツルのところへ行き、
「ねえ、オツル、私はいつまでもここにいることはできない。あなたたち親子が食べていくだけのお金は私が与えるから心配しないで三人で仲良く暮らしてね」
と言って天へ舞い上がりました。
二人の子どもは、
「おかあさ一ん、おかあさ一ん」
と泣き叫んだので、再び降りてきて、子どもたちを抱き、頭をなでてやりました。
「あなたたちと別れるのはとても辛いことだけど、おかあさんは天に帰らないといけない定めなのです。さようなら」
と、今度は思いきって飛び上っていきました。
 しばらくして、父親が帰ってくると、
「おかあさんは天に帰ってしまった」
と二人の子どもはワァーワァー泣きました。
「しかたがないから、これからはお父さんが育ててあげるよ」となぐさめてやりました。
 その後、二人の子どもたちは美しい娘、りっぱな若者になり、オツルはお侍さんのところへ嫁ぎ、マモルは毎日漁をして暮らしていました。
 その頃、勝連城に年頃のお姫さまがいて、あちらこちらの按司たちから結婚を請われているようだが、「いやだ。いやだ」と、断わっているという話をマモルは聞きました。
「おもしろそうだ。私が行って、妻にしてこよう」
と勝連城へ乗りこみました。
 門番はマモルを見て、
「おいおい、赤毛童がここへきては汚らわしい」
と追い払おうとしましたが、そこへ碇の頭がやってきて
「このような若者が城に伺うとは勇気のある奴だ。門から通してあげなさい」
 マモルは内へ通され、王様と王妃に会うことができました。
「恐れいりますが、わたしが立ち寄りましたのは、お姫様を私に下さいとお願いにまいりました」
「何を!失礼な」
と、王様は怒鳴りましたが、隣の部屋で聞いていたお姫様が出てきて、
「私をあの人のところへ嫁がせて下さい」
と言いました。
「おまえというやつは何てバ力げたことを言う」
と前にあった煙草盆を投げました。
それでもお姫様は、
「どうかお願いします。わたしをあの人のところへ嫁かせて下さい」
と懇願するものだから
「そんなに行きたければ、おまえひとりは産まなかったと思えばいいから勝手にするがいい」
と、王様は言いました。
 そして、いよいよ婚礼の日になりました。
 マモルの家では、海と山で取れる山海のごちそうを作ってもてなしました。
 お姫様は
「あなたの家は何を見ても小判ですね」
「私の目にはただの焼物にしか見えないが、おまえにはみんな小判に見えるのか」
「はい、小判で作られていますよ」
「そうなら私が魚を釣る場所は小判がたくさんあると思うので一緒に行って見せてあげよう」
 なるほど、川には小判がざくざくありました。マモルはその小判と支那という国の鉄を交換して鍛治屋を始めました。そして、鍬やヘラを作り百姓たちに配りました。
 それから、その時の王に後継ぎの子どもがいませんでした。次の王は誰にしようかということになりました。
「物きぅみしぇ一しぇー我が御主」
(物を与えられる方が、我らの御主だ)と、マモルは、王様になりました。それがのちの察度王だといわれています。

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