読谷飛行場は、昭和十八年から十九年にかけて、戦争遂行のため、旧日本軍に強制接収された七五万坪の土地です。
読谷村は、旧軍接収用地の土地問題を解決し、併せて二十一世紀に向けた村の中心地としての開発整備を行なうため、昭和六十二年「読谷飛行場転用計画」を策定しその実現を国、県の関係機関に要請してまいりました。
沖縄県の復帰二十年にあたり、日本政府においては沖縄振興開発特別措置法の延長、第三次沖縄振興開発計画を策定しました。政府の第三次沖縄振興開発計画の一環として「読谷飛行場地域開発整備計画」を策定すべく努力しております。いよいよ、読谷飛行場転用計画を推進する条件整備が整ってまいりました。
読谷飛行場転用計画は、二十一世紀に向けた村づくりの中心地として、村民センター地区に役場庁舎、平和の森公園(仮称)、骨格道路としての国道五十八号嘉手納バイパスや地域間交通路としての道路網整備等、読谷飛行場用地の総面積の約三割の面積が公共・公用施設用地として計画されております。また、総面積の約七割の面積が、旧地主関係者で組織する農業生産法人の生産基盤として農業団地の整備を進めていく計画となっております。県道六号線沿は大木土地区画整理事業地区として計画し、返還跡地の有効利用を促進する計画となっております。読谷飛行場転用計画を推進するためにはいくつかの課題を克服しなければなりません。
現在、読谷飛行場は、米軍のパラシュート演習場として使用されておりますが、この米軍基地の問題については、米軍、国の関係機関との協議を促進し、転用計画事業が早期に実現できるよう条件整備を進めていく必要があります。黙認耕作の問題解決については、耕作者の急激な生活不安を与えないよう配慮する必要があり、これら現地の問題解決のためには、転用計画の事業主体、及び関係当事者の互譲と和解の精神による問題解決が望まれるものであり、あわせて村民全体のご理解とご協力が必要であります。
読谷飛行場転用計画の推進は、旧日本軍に接収された戦後処理の土地問題の解決と併せて、二十一世紀に向けた村づくりの歴史的事業であります。戦後の困難な時代を克服してきた「読谷山村建設隊」「読谷山村建設隊後援会」の精神を現在の村民の精神におきかえ高めて、諸々の困難な問題を克服していく英知と努力が、今!村民に求められているのであります。
どうぞ!村民の御支援、御協力をお願い致します。
読谷山村建設隊綱領
一、われらは、協力一致をもって郷土読谷山の建設に挺身す。
一、われらは、公正明朗誠実を旨とし、もって村民の信倚に応えんとす。
一、われらは、篤実剛健責任を重んじ、謙譲親和をもって理想郷の建設を期す。
一九四六年八月十二日