読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1992年12月発行 広報よみたん / 10頁

【見出し】馬舞 ルーツを求め竹富へ 竹富島の「馬のシャー」と交流 【写真:1】いまだあいまいな伝来-馬舞 高志保馬舞保存会 字史編集委員会も同行 感動の連続「種子取祭」いまだに残る古くからの舞踊「組踊」 「黒帯」「センスル節」共通点 曲芸か?「宮廷」演技では ノーベル文化行政を評価 高志保区知花勝 

 【高志保】高志保馬舞保存会は「馬舞」のルーツを求めてこのほど、八重山竹富島を訪問。竹富島「披座間保存会」の「馬乗り」(馬のシャー)と、実演・交流を深めました。
 これは、読谷村の「ノーベル賞を夢見る基金」を活用しての企画で、知花正昌高志保区長を団長に議員、地謡6人、保存会(山城盛昌会長)会員、字史編集委員の大城英三郎、大城清一元村議、一行二〇名と八重山裁判所勤務中の大城勝一さんを加え二十一名のメンバーで竹富島を訪れました。
 竹富島の「種子取祭」は一九七七年に国指定の重要無形民俗文化財に指定された伝統的な有名な行事。その行事に合わせて同島を訪問、高志保の「馬舞」と竹富の「馬乗り」をそれぞれ実演、交流、伝来の歴史など語り合いました。

  いまだあいまいな
  伝来-馬舞

 高志保区の「馬舞」はその伝来が三百年と発表(海洋博のとき)、二七〇年(ムラアシビのとき)などあいまいで、そのルーツを調べることが求められていました。
 沖縄の芸能史や「県史」などを調べると高志保区の馬舞の記述は「いまの演技」の様子を見て学者文化人が紹介しているのがほとんどです。記述内容も多くなく、文献での調査には限界がありました。
 文献には高志保の「馬舞」と竹富の「馬乗り」がよく似ていると紹介。一度でいいから八重山まで行き「馬舞」を演じ、「馬乗り」を見てその違いや共通点を調べたい。そして、馬舞の伝来の歴史をはっきりさせることが大切だとの結論に達しました。

  高志保
   馬舞保存会

  字史編集委員
   も同行

 字史を編集する際にも馬舞の歴史は大事であることから、今回、字史編集委員も派遣し、調査交流となりました。

  感動の連続「種子取祭」
  いまだに残る古くから
  の舞踊「組踊」

 竹富島の「馬乗り」は「種子取祭」の「庭の芸能」の行列踊りの演目のひとつとして演じられるものです。
 一行は二日間にわたり同竹富島の「種子取祭」を見学、交流を深めました。
 人口二百名余の島の人たちと、石垣市、那覇、東京など全島全国から集まった竹富の方々が、二日間、八○近い演技を披露しました。
 一日目の夕方から、「世乞」。それにも参加。「世乞」の間隙をぬって両保存会は、伝来の歴史や踊りについて語り合いました。

   「黒帯」「センスル節」
     共 通 点

 翌日、庭の芸能のあと、由緒ある家の庭でお互いの演技を披露。
 「馬乗り」は「センスル節」にのせて、歌詞を五番まで約三分の踊り。那覇の「ジュリ馬」とよく似た踊りでした。太鼓打ちはなく二一人(高校生も含む)全員馬乗りだけで演じられました。
 高志保の「馬舞」の太鼓打ちの腰に巻く「黒帯」は共通しており、「馬舞」の歌詞のなかに「高平良万才」のせんする節の一説があるなど、また、歌詞が五番までなど共通点が多く見られました。
  曲芸か?「宮廷」演技では

 高志保の「馬舞」を見た「破座間保存会」は感想として、「ゆっくりした曲でありながら、激しい踊りだ」「太鼓うちなど真似できない」「若い人でないと大変では」「みなさんの踊りは曲芸だ」「何かを求めていくすごさがある」と評されました。

  ノーベル文化行政を評価

 破座間保存会は、一九七六年に国立小劇場で上演したり、南風原町の芸能祭へ近く招待されるなど、すぐれた伝統のある方々ですが、独自の予算で島外で演じたことがなく、文化を大事にする読谷村民が「うらやましい」と一言感想を述べていました。

  高志保区・知花 勝

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