「歴史と文化の村」と称する私達の村、読谷村には、世界に誇れるすばらしい伝統工芸品があります。すっかり定着した人気をもつ「やきもの」、そして色糸が、花のように浮き出ているのが特徴で、花柄のデザインとともに、配色の効果が美しいと評価されている「読谷山花織」です。
私が、伝統工芸に、興味をもったのは、母がこの「読谷山花織」にたずさわるようになってからです。
読谷山花織は、織りながら、模様になる部分をすくって、花糸をさしこみ、花模様を構成していく方法と、花柄にあわせて縦糸をかけ、その糸の開口することによって、花模様を、織りこんでいく方法があります。
私の母は、着尺といって、着物の反物を織っています。
反物の模様を考えることから始め、染めあげられた糸を、一本一本、丁寧にわりふりしていき、自分の考えている模様にそってきれいに並べ、織機の上にのせて織れる状態にしていきます。「織るだけが仕事じゃないのよ。織機の上に糸を載せるのも、大変な仕事だよ」といいながら一生懸命頑張る母。反物の長さは、十二㍍五十㌢です。この長さを織りあげるために、ときには、夜おそくまで頑張っている時もあります。
母の毎日の日課は、織機に座る前に、家の仕事をほとんど片付けてしまい、それから、織り始めます。織り始めると、なかなか手を休めることをしない母です。糸の調子がいい時は、母の顔も明るいです。反対に、調子が悪くて、なかなかすすまない時があるようで、その時は、そばから声をかけることすらためらってしまう私達です。「毎日、毎日、心をこめて織らないと糸も言うことを聞かなくなるのよ」と言いながら、一本一本の糸を大事にして仕事をすすめていく母。そんな母は、糸とおしゃべりをしているみたいです。途中で間違えたりすると、その部分を注意深く、一本一本を丁寧にはずしていき、またそこから織り始めます。細い糸を、一本一本やさしく、丁寧にあつかう母の指は、私にはまねのできない器用さで、魔法の手みたいです。リズミカルに、あざやかで、きれいな模様を織りこんでいく母の手。それは、人間の体の一部分というよりは、かわいい生きもののようです。思わず、「すごい!」と感嘆の声をあげてしまいます。そして、「私もいつかは、織ってみたい」という気持ちになります。
魔法の手をもっている母も、たまには、糸とうまくおしゃべりすることができなくて、糸とケンカをしている時もあります。でも、糸の調子をとりもどすまで、いつまでも一生懸命頑張ります。私ならすぐに弱音をはいて、投げ出しているだろうなと思い、忍耐強い母に、ただただ、敬服するばかりです。
こんなに一生懸命、心をこめて、織りあげた反物を買ってくれる人は、どんな人だろうか。大切にしてくれる人であればいいのになあと思わずにはいられません。
「伝統工芸品」という言葉を辞典で調べてみると、『ある社会で、古くからうけつがれてきた風習や、様式などで美しくありながら、なおかつ実用をはなれないのが特徴で、それをつくりあげていく技術のことである』と書かれていました。
私は、こんなすばらしい仕事に、心を打ちこんでいる母を、尊敬すると同時に、こんな母をもてたことを本当に幸せに思います。
母は、これから先の、長い人生を読谷山花織とともに歩むことでしょう。
「お母さん、体を大切に仕事に誇りをもって、いつまでも頑張って下さい」
私も、ぜひ、「花織」の技術を母から受け継ぎ、将来母のようにすばらしい「花織」を織りたいと思います。