読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1993年2月発行 広報よみたん / 6頁

【見出し】読谷村区長会が旅先で心の交流 献身的なガイドに感動!沖縄へ招待 【写真:区長会に招待され、山内村長を表敬訪問:公民館職員らが舞いを披露】

 公民館職員の忘年会に先立ち、山内徳雄区長らに連れ立って美しい姉妹が十二月十五日午前、役場に村長を表敬訪問。山内村長を感激させました。
 訪れた姉妹は、妹の重森愛子さん(鹿児島県出身)と姉の仲原笑子さん(神戸在)のお二人で、これは、区長会の招待によるもの。
 昨年の十月、読谷村区長会は全国公民館研究大会で宮崎県に出張した。鹿児島空港に降りたち、同県の東交通観光バスで一路、宮崎県に向かった。その時のバスガイドが重森愛子さん。旅路の中で、区長会と重森さんとの心の交流が始まった。そのきっかけは、重森さんの親切で余りにも献身的なガイドに感動した区長らが重森さんが独身であることを不思議に思い、ある区長が「あなたはなぜ独身なのか?」と発した冗談から。
 それに答え重森さんは、自身の境遇を語ったという。区長らの話によると重森さんは「目の前での交通事故で父の死に直面。そのショックと父を亡くした悲しみから気力を失い食事や水も飲めない日日が続き、やがて自身も大病を患い死の淵をさ迷った。しかし、周りの温かい励ましを受け、奇跡的に病を克服することが出来た。以来、自分はみんなに生かされているんだと言う感謝の気持ちを込めて毎日、献身的なガイドに務め、今でもユニセフに寄付するためにお金を貯めている。そのため、自分はどこにも旅行したことがない」と語ったという。その生い立ちを聞いて区長らは全員が涙し、心が解け合ったという。
 死の淵を乗り越え懸命に生きる重森さんの、旅先で触れたやさしい心に感動を抱いた区長会では、異口同音に「感謝の意を込めて重森さんを沖縄に招こう」と決意し、重森さんと約束を交わした。
 研修からの帰村後、区長会はお互いのポケットマネーを出しあい二泊三日の日程で沖縄に招待。重森さんは神戸に住む姉の笑子さんと来沖。そして、山内村長を表敬訪問した。
 姉妹の表敬をうけ、区長会の話に感激した山内村長は「区長会の心意気と情熱、その気持ちは美しく限りなく素晴らしい。姉妹にとっても良き出会いと思って区長会の好意に甘え、沖縄観光の楽しい思い出をつくって下さい」と語り、重森さんは「読谷村区長会との出会いと約束を病の床にある母に報告したら、母は『ほんと?嬉しいね、いい話じゃないの』と答えていました。私自身、口約束なので疑問をもっていましたが、区長会からの招待状が届いた時には胸いっぱいになりました。ほんとにガイドをやっていて良かった。ガイドをしてなければこんな良き思い出にならなかった…」と声を詰まらせ、そんな妹を姉の笑子さんは、やさしく肩を抱き寄せ「良かったねっ!」と囁きました。 村長表敬の後、姉妹は海洋博会場などを見学して県内観光を楽しみ、その日の夕方には「公民館職員忘年会・歓迎会」に望みました。
 みんなの歓迎をうける中、会席の場であいさつに立った山内村長は「重森さん姉妹を迎え、人と人との出会いと、感動・感激を忘れない区長会の情熱と行動は素晴らしい。今頃こういう微笑ましい話題はない。今では読谷を愛する他府県の人々も多くなってきている。私達は相手に好かれる人になりたいものだ。区長会の忘年会は意義ある催し、みんなで楽しくして盛り上げていきましょう」と述べ、また、区長会の温かいもてなしに重森さんは「読谷村の人達はみんなとても明るく心が美しい。区長会は親切でやさしく人間的に魅力のある人達。初めて沖縄に招待してもらいとても嬉しい。また、紅いもがこんなにきれいで美味しいとは知らなかった。鹿児島に帰ったらおいしい読谷の紅いもを宣伝し、全国に広めるようガイドしていきたい」と感謝と感激の気持ちを語り、そして、区長会の山内徳雄会長は、重森さんを招待したことについて触れ「重森さんは研修中ずっと区長会に付き添い、私達を献身的に世話してくれた。何度も本土研修をしているが、重森さんほど親切・丁寧にガイドしてもらったことはなく、心を動かされたこともなかった。まして重森さんが一度も九州から出たことがないというのを知り『それじゃユンタンザに是非呼ぼうじゃないか』と話がまとまり、心暖まるガイドに感謝の気持ちを込め、沖縄の青い海や空、沖縄の人情を知ってもらおうと招待しました」と語り、更に「人と人との触れ合いが一生つきあい涯の交際。将来に向け読谷と鹿児島との懸け橋にしていきたい」と意欲を見せていました。
 旅先で交わされた口約束を、不言実行した読谷村区長会。その心情と心意気は、私達村民の心に残り、美談として末長く語り継がれることでしょう。

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