毎週二回、踊りの練習をし、その度に「早く北海道に行きたいね北海道は、寒いかな。」と、話をはずませ胸をワクワクさせていた私達。出発の日が近くなればなるほど、この気持ちは高鳴るばかり私は何度北海道に行く夢を見たのか、数知れません。パートナーに会える、みんなにも会える、その気持ちが私の心の中で一時も離れたことはありませんでした。
期待いっぱいで胸はずませ、憧れの北海道へ、いざ出発。少々不安もやはりありました。ところが千歳空港に降りて、雪を見るなり感動し、大声を出して皆なと喜び私は、感激のあまり、頭痛などどこかにふっ飛んでいました。雪を見るのはこれで二度目だったんですが、まるで初めてのように心をゆさぶられました。辺り一面の銀世界が「憧れの北海道に来たんだ。」という実感をわかせたのです。私は、たまらないほどうれしくて自分でも怖いほどほほ笑みが浮かんでいました。
でも、いつまでも笑ってばかりはいられません。一応代表としてきた私。しっかりとこの目で北海道を見なければと思い、バスの中から外を見ていたら、沖縄と違う点をいくつかみつけました。それは、家の造り、道路の設備等が沖縄と異なり、雪にうもれない様に工夫されていることです。このような物を見て、私は感じたことが一つあります。それは、北海道などの寒い地域の人達は、沖縄の人達に比べ、難儀をされているということです。沖縄は、年中温かく雪もふらないので、雪おろしなど大変な作業をしなくてもよいからです。沖縄の人達から見て、雪のふることは、ある面でうらやましいことかもしれません。でも雪国の自然はとても厳しくつらい面もあることを、私は感じました。
私のパートナー森由香里ちゃんを始め、由香里ちゃんの家族は、ひょうきんで、心の温かい人達でした。そんな家族のもとで、三日間民宿が出来、心からうれしく思います。由香里ちゃんのお父さんは、私と由香里ちゃんを乗せ色々な所に連れて行ってくれました。ステーションやデパートやすべて心に残っています。その中でも、初めて温泉に入ったのが強く印象に残っています。毎日が楽しく自分の家に電話するのも忘れるくらいでした。でも私は、四日目に由香里ちゃんの学校で熱を出してしまったのです。みんなにとても心配をかけてしまい、熱を出した自分に悔やしくて、気が付いた時には、涙をポロポロと流していました。そんな私に、皆な心配して、「大丈夫よ。」と声をかけて励ましてくれました。優しさが心にしみるようでした。
私が池田にいて思ったことは、すごく心の温かい人が多いということです。そんな池田町に気をひかれ、読谷村は、今まで交流を深めて来たのだろうと、私は思います。
私はいつの間にか、すごく池田町が好きになっていました。だから、その分だけ、別れはすごくつらく、悲しいものでした。夏の交流のお別れの場合は、又二月に会えるからという気持ちがあり、悲しくもなんともありませんでした。でも、冬の交流のお別れは、またいつ会えるのか全く見当がつきません。そう思うと、悲しさ淋しさが胸をしめつけるのです。私は、「又必ず会える。」と心の中で何回も<り返し言いつづけ、悲しみを吹き飛ばそうとしましたが、それは無理でした。「平気だよ」って顔してさよならしたかったのにいつの間にか、クシャクシャの顔に。最後には、皆さんにろくにあいさつも出来ずにお別れをしました。
この交流を通して、たくさんの思い出が出来ました。北海道に新しい家族ができた事、スキーをすべったこと、皆と一緒に泊まり朝までさわいだこと、楽しかったことから、つらかったことまで。抱えきれないほどの思い出は、胸の中に一生刻まれていることでしょう。池田の皆さんに温かく歓迎されたことを、大変ありがたいと思います。又、この交流を支えて下さった村長さん、教育長さん、校長先生をはじめ学校の先生方、役場のおじさん、おばさん達、お父さん、お母さん、その他の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。これからもずっと読谷と池田の交流を深め、お互いに、町づくり、文化づくりという上で頑張ってほしいと思います。私は絶対、又大好きな北海道に行きます。その日が来るのを楽しみにして色々な面で私も頑張って行くつもりです。第十一回交流会はきっと成功に終わったと思います。すばらしい交流でした。