そのむかし、「鼻の下は口」というはなしがありました。
それはね、残波岬沖合の青い海原を、山原船が順風にのって、山原をめざして走っていました。 天気が良くて、、順風にあえば思う存分に帆をあげて、余裕しゃくしゃく、三味線を弾きならしながら、速度をあげて進んでいました。
そこで、宇座のターヌハタというところのじいさんが、ひとりサバ二に乗って魚を釣っていました。 じいさんの船すれすれに大きな山原船が近づいてきたので、じいさんは、自分のサバニに突き当たりはしないかと、びっくりして、
「この船は何ものかよー」
と、大きな声で叫びました。
山原船の乗組員は、長年の船乗りたちであるので、わざっとじいさんをからかうつもりで、突き当たらない程度にすれすれに通りました。
じいさんはまた、
「この船は何ものかよー」
と、叫んだので、
「この船はよー、じいさん!松船だぞう」
と、笑いながら通り過ぎました。
「この青二才め、こいつらは」
と怒りましたが、自分のサバニは大丈夫だったので、そのまま見過ごしました。
すると、残波岬を越えたころ、急に風向きが北になったので、山原船はあわてふためいてひっ返してきて、宇座口という入江付近で
「口はどこかねー、じいさん!」
と、今度は逆に騒ぎたてました。
今のうちだと、じいさんは、
「口を知らぬか、口は鼻の下さー」
と、言いました。こいつらはわたしをからかったのだから、こらしめてやろうと思っていましたが、海の同志だし、すぐに気をとり直して、
「さあ、口はここからだよ。わたしが案内してあげるからついてこい」
と、宇座口を通って、イノー内に入れました。
北風の中では、荷物を満載した山原船は走ることができないので、やむなく、そこに錨をおろして、停泊することになりました。イノー内に入れば安心です。
じいさんは山原船の乗組員を全員自分の家へ連れて行きました。
「ここに一晩は泊まりなさい。風がおさまってから出て行くといい。遠慮しなくていいから」と。
正月のあとだったので、ごちそうしてもてなし、気がつけば、豚肉は全部なくなっていました。
「口を知らぬか。鼻の下だよ」という話はこのことです。
【山原船】戦前まで活躍した帆船で、主に沖縄本島北部(山原)と中南部を往復した交易船。
山原地方からは木材や薪、炭を積み込み、それを中南部に売り、反対に町方からは日用雑貨を山原地方へ運んだ。
【サバニ】丸木舟、クリ舟
【宇座口】宇座の海にはウフグチとワタンヂクチの二ヶ所があり、この物語に出てくるのはウフグチと思われる。
礁縁の大きな割れ口で、礁原内への潮の出入口であると同時に、船の出入口でもあり、外海と内海を結ぶ唯一の地点である
【イノー】礁縁によって消波され静穏な内海が礁原である。
これは宇座西海岸のような礁湖(ラグーン)を持つものと、その他の平坦な礁原とに大別されるがいずれもイノーと呼ばれる。