読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1994年1月発行 広報よみたん / 7頁

【見出し】よみたんの民話 婿えらび

 むかし、那覇四町に富豪の家があり、そこにはたいそう美しい娘がいました。しかし、年頃になっても嫁に行く様子もなく、両親は心配していました。父親は、はやく娘にふさわしい人が見つかるようにと考えたあげく、あちらこちらに立札を立ててみようということになりました。
 この立札の内容は、「たいへんに話上手で、私を喜ばせるような話を持っている人であれば婿にしてもよい」というものでした。
 たちまちのうちに立札のうわさは各村々に広まり、話上手の若者たちは、我こそは大金持ちの婿にといっしょうけんめいでした。
 まず初めに島尻のトーチブルという人が来ました。このトーチブルという人は唐からきたのでそのようによばれていたそうです。
 娘の父親がトーチブルにいうことには
「ここにね、トーチブル、私の三尺もある大根がある。だけど、その大根は葉だけが大きいのだよ」と言いました。次にトーチブルの言ったことが、
「この大根の葉だったら、泊、前島をおおってしまうでしょうね」
と言ったら、
「さてさて、トーチブルー、話には葉がないのだ。この大根には葉はないという話だ。おまえを婿にすることはできない」
と言われて帰されたそうです。
 次に現れた者が、名護間切からきた馬乗り我謝でした。その我謝も
「私が乗る馬だったらどんな人にも負けはしない」
と、いっしょうけんめいに話も次から次へすばらしくおもしろい話を持ってきたそうです。婿は自分に決まったと自信ありげに婿選びにのぞみました。
「旦那様、はじめまして、馬乗り我謝です。話上手であることは誰にも負けません。今度の婿選びは私にきまっているのも同じことです」
「おまえが自慢するぐらいの話上手だったら婿にとるから始めてごらん」
と、主人は言いました。
 馬乗り我謝は喜んで話を始めました。主人が
「名護の七曲りを通って、名護の馬場に今着いたばかりである」
と、そのように話をすると、馬乗り我謝は、
「名護の旅は幾度もしたが、糞の歩くのは今年初めてみた」
との話をしました。
「いいかね、我謝、糞の話が出たからには話は終わり、おまえを私の娘の婿にすることはできない」
と、断られました。
 次に出てきたのが、中頭にいる中城左ウッチャーシーです。
「ごめん下さい。私は中城左ウッチャーシーです。貴方の娘を下さるという婿えらびの立札を拝見して、婿えらびの場にうかがったわけです。話上手のことでしたら、りっぱな話からしますので婿にして下さい」
「おまえが、私に満足に話ができるのであれば、婿にしていいぞ」と、お互いに話もはずみました。「御主人様、私は歌からさしあげます。
  海と山とはひとかつぎ
  山と川とはひとかつぎ
  天と地とはふたかつぎ
  娘と私とは三かつぎです」
 主人は、
「もう、おまえの言うとおり、今の話にはいやとは言えないので、おまえの妻にしていいぞ」
と、婿は中城左ウッチャーシーに決まったということです。

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