読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1994年1月発行 広報よみたん / 12頁

【見出し】文化の香りでいっぱい(資料館・美術館)

 広く県民や村民に文化を認識してもらおう-と、村教育委員会(文化振興課)では十一月三日の”文化の日”に、企画展「砂丘は語る」(民俗資料館)と沖縄県芸術祭移動展「美術展」(美術館)を同時に開催しました。
 この日の午前には四十人余の関係者らが参加する中、オープニングセレモニーが行なわれ、セレモニーでは主催者を代表して伊波清安教育長が「県内のトップの方々の見ごたえのある作品が展示されているので多くの方々が見てもらうよう、広く村民へのピーアールをしてほしい」とあいさつ。その後、関係者らによる「砂丘展」と「美術展」の観賞が行われた。

  企画展「砂丘は語る」
 企画展「砂丘は語る」は、昭和六一年から平成四年までの七カ年間にかけて村教育委員会が宇座・渡慶次・儀間・高志保の海岸遺跡において発掘した遺跡群を展示。
 資料館では、本村の海岸から出土した遺跡や貝塚を-
【歴史舞台】
①土器の使用と狩猟・採集生活の始まり。
②様々な装飾品と竪穴住居。
③豊富な魚介類を食する。
④海を渡った南海の貝、そして、新しい文物の流入。
⑤大海を認識し、砂丘を後に。
として「資料館だより(№27)」にまとめている。
 それによると、沖縄で土器を用いる人々が登場するのは今から凡そ五千年前~七千年前。本村でも早くから土器を用いる人々の営みが見られ、貝類やイノシシを捕らえる狩猟・採集生活をしていた様子が解り、約二千五百年前~三千五百年前には岩陰の生活様式から竪穴住居を構えての住居を形成した定住時代へと移り、時代とともに食文化も漁網を用いた漁業や農業、会場交易を行った時代背景を綴っている。
 本村の西海岸には多くの砂丘があり、この砂丘地帯は遺跡の宝庫で、現在十七件の遺跡が確認されており、狩猟や採集に頼っていた時代には本村の豊かな海が重要な食料採取の場であったことを物語っている。
 館内には、それらの遺跡から出土した貝類の装飾品の歴史遺産や当時の人々の生活様式を形どった竪穴住居の想像模型が展示され、観賞した人々の興味をひいていた。

  沖縄県芸術祭「美術展」
 十月十三日も宜野湾市での本展を皮切りに始まった沖縄県芸術祭移動展「美術展」は恩納村や東村を経て、本村では十一月三日ぁら七日までの日程で開催された。
 「県展」の名で知られる同展は、県民の意欲的な芸術活動を奨励し、芸術鑑賞の機運を高め、新しい芸術の創造と発展に貢献し、県民文化の向上に資することを目的に、復帰後から毎年開催されているもの。
 今年の県芸術祭「美術展」は、本村の「読谷まつり」の日程に照らして企画・実施されたもので、美術館内には県芸術祭でのより優れた作品の数々(絵画八十二点、彫刻六点)が展示されました。
 美術展には初日のオープンと同時に沖縄スイミングスクールの子供たち百人余が訪れて多くの美術作品を鑑賞。子供たちは、素晴らしい絵画や彫刻を食入るように眺め、とても感動していた。
  児童生徒陶芸展
 一方、美術展を終えた後の十一月十三日、美術館では引き続き「児童生徒陶芸展」が催された。
 これは、”楽しい夏休みのよい思い出になるやちむん作りの喜びを味わい創造性を養おう”との趣旨の下、「児童陶芸教室」(八月に作品づくりをし、十月三十日に窯出しが行われた)で、子供たちが作った作品を一堂に集めて開催されたもの。
 児童展のオープン式では児童生徒の代表らを始め、指導を行った陶工や教諭ら約五十人余が出席する中、テープカットのセレモニーが行われ、小、中学生の生徒らがそれぞれに発表。「シーサーづくりはとても楽しかった」の声や「壺や色々なやきものを作ってみたい」、「作るときは大変だったけど、出来上がった時は嬉しかった」などと、それぞれに感想を述べた。
 陶芸展には、八十四人の児童生徒らが制作した数百点にも及ぶ面シーサーや風鈴などの陶芸作品が出品され、観賞した人々は、子供たちの創造性豊かな作品を始め、情緒あふれるユニークな作品などにすごく感銘を受けていた。

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