昭和四七年五月十五日、沖縄県の日本復帰に伴って「商工会の組織等に関する法律」が沖縄にも適用され、これを受けて県、県商工会連合会が各市町村に商工会設立の行政指導に乗り出した。
本村では、役場経済課が商工業者に呼び掛けて設立に向けた準備委員会を設置。翌年(昭和四八)の九月六日には発起人会が開かれ、設立認可の具体的作業が始められた。しかし、復帰後の目まぐるしい時代の中にあって会員獲得に難渋を期する中、発起人会は『これから相互理解を深め、相互扶助の精神で難局を乗切り、時代の趨勢に対処しよう』との方針の下に組織化の重要性を力説。そして、商工業者の同意を得ると共に、諸々の法的条件を整備して同年十一月十一日に「(公益法人)読谷村商工会の創立総会」を開催し、読谷村商工会が設立された。だが、設立にはこぎつけたものの事務所は当初、役場経済課に一対の机をおいてのスタートであった。その後、事務所は四回の移転(間借り)を経えながら、その都度対応。やがて会員数も五百人を越え、厳しい経済環境の中での会員の期待は大きく、商工会の果たす役割と責務は極めて重要になってきた。このことから商工会の活動拠点となる会館建設の必要性に直面し、昭和五六年五月、第八回通常総会で建設期成会が設置されたのを受け、宿願の「商工業研修等施設」(商工会会館)が建設された。
むらおこし事業を展開
商工会のゆるぎない城(会委員の拠点会館)の完成に伴い、商工会ではこれを礎に、飛躍発展の新しい時代を築いていくことになる。
【地域ビジョンの作成】
商工会では国、県の指定(昭和五九年度)を受け、「地域づくりの具体的な方策を求めて」をテーマに、村内商工業社の指針となると共に、第一次産業、観光、地場産業など村経済の活性化を促進することを狙いとした地域ビジョンの作成にとりかかった。
その結果、村内の意向調査等を踏まえて作成されたビジョンの具体的な提言は、
①村づくり運動ビジョン。
②産業活性化ビジョン。
③観光開発ビジョン(残波岬)
④地場産業活性化ビジョン。
に大別され、二十六項目にわたる事業内容となった。
商工会では、この提言を受けてビジョン実現委員会を組織し、提言の可否を検討する一方で、村内各団体の「若者によるむらおこし交流会」を開き、むらおこしへの気運づくりに努めた。
【むらおこし事業へ着手】
昭和六一年度、いよいよ商工会が「むらおこし事業」に着手。それはまず「特産品開発」と「観光振興」の事業内容別に区分しての活動に始まり、そして特産品づくりでは「読谷紅いも」を素材にした数々のヒット商品(和洋菓子の紅芋シリーズ)を開発。観光振興では、本村の自然や風土に密着した「文化的資源を活用した観光」を柱に着々と事業を展開し、地域活性化を推進。その結果が、むらおこし会社「(株)ユンタンザ」の設立につながると同時に、栄えある「琉球新報産業活動賞」の栄誉を受賞することとなった。