「交叉(差)点」のことを沖縄では「アジマー」とか「カジマヤー」と言っています。
「アジマー」は交差した物、あるいは交差したところというわけで、「四つ角」や「十字路」を意味しますが、「三差路」の意味もあろうかと思います。たとえば昔の六尺褌(ふんどし)は、股間を通し腰へ回してから後で結びました。この結び目を「サナジヌアジマー」といい、その後ろ姿はTの字形、つまり三叉路になっていました。現今の婦人方のTバックそっくりだったのです。
「カジマヤー」という名は「十字路」がアダン葉で作った風車の形をしていることから名付けられたものと思われます。
沖縄民謡に「イッタージョーウニマチュミ、カジマヤーニマチュミ(貴女の家の門でまちましょうか十字路で待ちましょうか)ナレーカジマヤーヤ、マシヤアラニ(なるべくなら十字路がよいのじゃありませんか)」ということがあります。逢引きの歌です。
ところが「カジマヤー」は、ユマングィ(夕間暮れ)になると若者たちが集まる所で、そのような所を逢引きの場とするのは、少々おかしい人ではないでしょうか。変な歌です。
さて、波平のアガリジョウ(東門)から西に進みますと三叉路に突き当り、その中心部には石を積み回した中にガジマルが枝を広げています。それはさながら大盆栽をおいたような素晴らしい景観で、つい見とれてしまうような小ロータリーの風景です。
この交差点中央の構築物はチンマーサーといいますが、石を積み回したということでそう呼ばれているのでしょう。『沖縄語辞典』にはチンマーサーのことを、「土や石を積みめぐらせて円形に盛り上げたところ。上に赤木やガジマルを植えてある。一里塚のように里程標としたものと思われる」とあります。
一方『沖縄大百科事典』には「イベガマ」という項があり「長虹堤の西端、那覇市旧松山町・松下町・久茂地町の接点にあった御獄。石を積み回してあるところから、俗にチンマーサーと呼ばれていた」とあり、それには二つの言い伝えがあるようで、どちらも死者を埋葬した所となっています。 波平のチンマーサーが『沖縄語辞典』で言う里程標と関係あるかどうかは分かりません。そして集落の中央部に死者を埋葬したとも考えられませんので、『沖縄大百科事典』でいうような御獄でもないように思われます。
これはあくまでも想像ですが、波平では、当時としてはただ広いだけで何の変哲もないカジマヤーに風趣を付けようとして、このチンマーサーを築いたのではないでしょうか。
いつ頃構築されたか、その由来も余所者には知る由もありませんが、祖先が残したこの構築物を波平の人々は大事にし、石積みを保護していることがありありと目に映ります。