読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1994年9月発行 広報よみたん / 12頁

【見出し】「国際的ってなんだろう」川村さつき

 私は、アメリカ合衆国で生まれ育ちました。■アメリカ人の血が混ざっています。アメリカ合衆国では、自分が混血であるということを意識しないで八年間すごしました。
 日本に来る時少し不安でしたが、楽しみにもしていました。
 あまり日本語が得意でなかったことと、友達が出来るかどうかということが、一番の私の心配ごとでした。
 もう一方で、日本という国がどんな国なのかと考えるとワクワクした気持ちにもなりました。
 ところが、沖縄へ来たばかりの時、私はよく学校でいじめられました。
「外人はアメリカに帰れ」。と何人かの同級生に言われました。私はその時初めて、
-外人っていったい誰のことなのだろうか-と思いました。
 人が外人という言葉を使う時に、私はそこに外国から来た人という意味だけでなく、自分とは違う人間、一緒にはなれないという冷たい思いを感じます。そして、「帰れ」という言葉でさらに強く自分達とは違う人間を受け入れたくないのだと思ってしまいます。
 なぜみんなと違っていたらいけないのでしょうか。なぜみんなと同じでなければいけないのでしょうか。
 アメリカではこういうことはありませんでした。私の通っていた小学校では、中国人、韓国人、白人といろいろな子供達が一緒に勉強していました。たとえ、顔つきが違っていても、指さして「外国人だ」などと言う子供はいませんでした。会話の中でも、
「あの人は中国人よ」とか「日本から来た人よ」と言って、誰もかれも一緒にして「あの人外人よ」とは言わなかったように覚えています。
 今思えばアメリカでは外人という言葉は存在していませんでした。
 沖縄に来て七年がたとうとしています。
 最近はもういじめられることはなくなりましたが、困ったことがいくつか出てきました。
 その一つに「英語を教えてほしい」と言う人達がいて、教えてあげると、「調子にのるなよ」などと言われてしまうことです。私は、英語を教えてあげるのが恥ずかしい反面、好きでもあります。教えてあげることで、皆に受け入れられるような気がするからで。ですから、その言葉を聞いた時には、大変ショックでした。
 この頃よく”国際性豊かな”とか”国際化”という言葉が使われています。これは、何も外国へ行くことで養われるものではないと思います。身近なところで、誰もが身につけられるものだと思うのです。
 一番大切なことは、自分達と違うものを受け入れる心です。日本や沖縄は、どうしても自分達と少しでも違うものに出会うと、偏見の目でみたり、取りのぞこうとしたりしがちです。
 お互いの文化や違いや、考え方の違いを素直に認め合えば、理解し合う気持ちが出てきます。お互いを助け合ったり、楽しみ合えたりすれば自然と国際性は養われていくのだと思います。
 自分達の文化を大切にし、受け継いでいこうとしている沖縄の良さ、平和で誰もが学ぶことの出来る日本の良さ、人々の違いを受け入れるアメリカの良さ、それぞれの良さを私は十五年の間で知ることが出来ました。
 皆さん、私達は自分を自分自身でまず受入、自分達の育ってきた日々に感謝し、これからもたくさんの人達の文化に触れ、考えを受け入れながら話をしていこうではありませんか。
 これが私達にとって国際的な人間になるための第一歩だと私は考えています。

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