「お母さん、おじいちゃんやおばあちゃんになるとおむつするの?」。
学校から帰るなり、一年生の息子が息せき切って話しかけました。詳しく聞いてみると、喜名小学校の児童劇団が老人ホーム比謝川の里へ慰問することになり、持ち寄るオムツや二人の兄が劇や三味線で参加するので、自分も行きたいと思っている事を話しだしました。
私は、子ども達が明るく元気に育ち、確かに目を外に向けつつあることを感じながら、子育てに自信に失い、苦しかった当時のことを思い出しました。
私は、親として子どもにやってあげられる最大のプレゼントは、兄弟を与える事と思い、五人の子ども達に恵まれました。
健康であって欲しい、そして何とか子どもの個性や特技を引き出し、それを伸ばそうとする励ましの教育に徹しようと、職を離れ、専業主婦として、子育ての第一歩を踏み出しましたが、昭和五六年に生まれた長男を初め、どの子も喘息で体質遺伝との診断です。おまけに末娘は、生まれた翌日、産院から中部病院のICUへ送られ、一人残された私は心配のあまり、食事も喉を通らず、母乳も止まってしまい、娘はとうとう一滴も母の味を口にすることができませんでした。
体重もなかなk増えず、日に二度も病院へ駆け込む生活が続きました。
保育所にも入れず、全員家庭保育で頑張っているのに、整備士の主人は家族のことより仕事や付き合い優先で夫婦ゲンカが絶えません。私はすっかり疲れ果て、子育てに自信を失ってしまいました。
でも、いつまでもこうしてはいられません。子ども達に健康と自信を取り戻させてやりたい。その為には焦らず、無理せず、自然に逆らわない生活を心掛けようと決心しました。
まず、家の中からストーブやコタツ等を撤去し、無農薬の家庭菜園を始めました。生ゴミや焼却炉の灰を還元しながら、子ども達と四季折々の野菜を植え、収穫の喜びを体験しました。
それから、ガールスカウトの経験を生かし、家族キャンプを取り入れ、自然に触れる機会を多く持ちました。最初は家の庭、次に屋上へ、さらに海辺や山へと広がっていきました。
主人は廃品を利用して遊具を造ってやることで積極的に子ども達と関わるようになりました。私達夫婦も共通の目標をもつことでお互いの立場を理解しあえるようになり、家族の絆も強くなっていきました。
子ども達は少しずつ体力もつき、病院へ行くことも少なくなり、やっと陽の目を見る思いです。私はこれまで、子どもの健康にばかり気をとられ、タコ壺の中で自分の事しか見えず、我が子の低力を信じる事も、心の内を除く余裕も持ち合わせていなかったのでしょう。
そんな矢先、主人がPTAの役員をする事になったのですが、仕事の都合で代りに私にやれ、と云うのです。尻込みする私に、「親がそうだから子どもも気弱になる!」と鋭い主人の言葉が突き刺さります。恐る恐る出掛けて行ったものの周りは知らない人ばかり。
十年も家の中に閉じ込もっていたのですから当然です。
しかし、参加するたびに私の固くん心も変わってきました。皆それぞれ問題を抱えながらも、明るく前向きに生きている事、悩みや苦しみも仲間と交わる事で半減し、喜びは倍になる事に気が付き、多くの友人や婦人会員の方々と出逢う事もできました。
役員になって初めての役目はミニ講演会で「我が家の子育てという題で発表することです。家族以外の人の前で、話しなどしたことのない私です。「大丈夫?頑張ってね」と子ども達に励まされて挑んだのですが、極度の緊張で胸が張り裂けそうです。何とか責任を果たした後は安堵感と共に「やればできる」という自信にひたり、嬉しさがとめどもなくこみ上げてきました。この感動を是非子ども達に伝えたい!その為に今一度頑張ってみようと思いました。
それからの私は、家族の協力を得ながら積極的にPTA活動に関わり、趣味で始めた電子笛の練習を再開し、役員二年目にはPTA集会での歌の伴奏を一年間通して引き受けました。多くの場を与えられ、それを一つ一つこなして行く中で、私自身が少しずつ変わっていくような気がしました。又、太極拳を始める様になり、宴会の場では余興も率先してやるようになりました。いつもの三枚目役に周囲からは、「いつからそんな風になったの?下ばかり向いていたのにね」「そんな事して恥ずかしくないの?」と云う子ども達に、「恥ずかしいのは最初だけ、やってごらん」と言い返します。以前の私からは想像もつかない程の変身なのですから致しかたありません。
思い起こせば、子ども達の事で悩み、耐え難くつらい日々でしたが、今では私の生き方や考え方が前向きになり、親が変わる事によって子ども達にも変化が見られ、心身共に成長してきました。喘息もちだった長男は、小学校を皆出席で卒業し、陸上部で毎日汗を流しています。五年生の次男は三味線クラブを通し、ボランティア活動に目を向けるようになりました。二年生の三男は動植物に興味を示し、五歳と四歳の幼い娘達はピアノへ向かっています。音楽の好きな私は、六つの部屋にスピーカーを設置し、常に音楽と接するようにしていますが、週末の夕食後には誰からともなく楽器を弾き始めます。すると次々と共鳴し、やがて演奏会が始まります。今までは横目で眺めていた主人まで、「俺はガラガラ専門」といってマラカスを鳴らしながら、ラテンの曲に合わせて踊り出します。
その様な生活で、子ども達は尚一層音楽に興味を示す様になりました。
今、私にはささやかな夢があります。子ども達がそれぞれ楽器の練習をし、将来家族バンドを結成して、音楽ボランティアをすることです。
二十一世紀の高齢化社会を考える時、子ども達の心に芽生えつつある奉仕の心を大切に受け止め、地域社会に貢献できる子ども達に成長してくれることを願わずにはいられません。
「親が変われば子どもも変わる」。自分の可能性を信じ、最大限に伸ばす為にこれからも「変身」を続けたいと思います。